ジングシュピール(その他表記)Singspiel

デジタル大辞泉 「ジングシュピール」の意味・読み・例文・類語

ジングシュピール(〈ドイツ〉Singspiel)

18世紀後半から19世紀中ごろにかけて、ドイツで上演された音楽劇。オペラとは異なって対話が多く用いられ、明るく喜劇的な内容をもつものが多い。

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改訂新版 世界大百科事典 「ジングシュピール」の意味・わかりやすい解説

ジングシュピール
Singspiel

ドイツ語で〈歌う芝居〉の意味。台詞と単純な民謡風な歌からなるドイツ語による喜歌劇。18世紀後半にイギリスの〈バラッド・オペラ〉の影響を受けてドイツ,オーストリアで流行した。1743年にベルリンでコッフィーCharles Coffey(?-1745)のバラッド・オペラ《後がこわいThe Devil to Pay》がドイツ語に訳され《Der Teufel ist los》の題で上演されたのがジングシュピールの生まれるきっかけとなった。まず52年にシュタントフスJ.C.Standtfuss(1759ころ没)がライプチヒでこのドイツ語訳に新しい音楽をつけて反響を呼び,59年には《陽気な靴屋》を発表した。次いで66年ヒラーJohann Adam Hiller(1728-1804)がこの二つの作品の音楽を一部書き換えて上演し,大成功を収めた。ヒラーはその後も多くの新作を発表して〈ジングシュピールの父〉と呼ばれた。その後ジングシュピールはライプチヒからその他の都市にも広まり,ベルリンではJ.ベンダウィーンではK.ディッタースドルフ,I.ウムラウフ,J.シェンクモーツァルトなどが作品を書いた。このうちモーツァルトは《後宮からの誘拐》(1782)によってジングシュピールを芸術的に完成させ,その頂点を築いた。しかしこれは従来の単純な音楽劇としてのジングシュピールの域を越えて高度なものになっている。そしてこの方向はさらに《魔笛》,ベートーベンの《フィデリオ》,C.M.vonウェーバーの《魔弾射手》に受け継がれて,19世紀ロマン派のドイツ・オペラに至るのであるが,それとともに本来のジングシュピールは衰亡していった。
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百科事典マイペディア 「ジングシュピール」の意味・わかりやすい解説

ジングシュピール

ドイツ語で〈歌う芝居〉の意。18世紀後半に北ドイツで始まったドイツ語による一種オペラ。英国の〈バラッドオペラ〉の形式をとり入れたもので,レチタティーボによらず話される地の台詞をもち,喜劇的な内容が特色。ライプチヒのヒラーJohann Adam Hiller〔1728-1804〕は〈ジングシュピールの父〉といわれる。ウィーンではオペラ・コミックの様式に影響を受けながらジングシュピールの域を越えて発展,モーツァルトの《後宮からの誘拐(ゆうかい)》《魔笛》などが生まれた。→サルスエラ
→関連項目ディッタースドルフバラッドハーリ・ヤーノシュ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジングシュピール」の意味・わかりやすい解説

ジングシュピール
じんぐしゅぴーる
Singspiel ドイツ語

「歌芝居」の意。18世紀後半から19世紀中ごろまでドイツで上演された歌劇の一形体。ドイツ語で書かれ、多くは明るく喜劇的な筋(すじ)をもつ。大きな特徴として、一般のオペラとは異なり、地の台詞(せりふ)が多く用いられる。

 1743年ベルリンで、イギリスのバラッド・オペラ(対話と民謡や当時の有名な旋律から構成された劇場作品)『悪魔は放たれた』Devil to Payのドイツ改作版が上演された。これに刺激を受けたヒラーJohann Adam Hiller(1728―1804)が、1766年新たに作曲した同名の作品を上演して成功させ、以後ドイツ各地で新作のジングシュピールが上演されるようになった。その後、イタリアのオペラ・ブッファやフランスのオペラ・コミックの影響を受けつつ発展し、やがてモーツァルトの『バスティアンとバスティエンヌ』(1766)、『後宮からの逃走』(1782)などの代表的なジングシュピールが生み出された。しかし、19世紀中ごろには、これにかわるオペレッタに押されて姿を消していった。

[石多正男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジングシュピール」の意味・わかりやすい解説

ジングシュピール
Singspiel

ドイツの民衆的な歌芝居の流れをひくオペラ。せりふの対話と歌われる部分から成り,18世紀中葉イギリスのバラード・オペラやフランスのオペラ・コミックの翻案から始ったが,ほどなく独自に作曲されるようになった。北ドイツ派とウィーン派の2つがあり,北ドイツ派は J. A.ヒラー (『狩り』ほか) や G.ベンダ (『ピグマリオン』ほか) を中心に民衆的な色彩が濃く,ロマン派のドイツ・オペラ (C.M.ウェーバーの『魔弾の射手』など) の作風につながっていく。ウィーン派は,イタリアとフランスの影響を受けて軽快な味わいをもち,I.ウムラウフ (『坑夫』) ,K. D.ディッタースドルフ (『医師と薬剤師』ほか) を経て,モーツァルトの『後宮からの誘拐』や『魔笛』のような名作を生んだ。

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世界大百科事典(旧版)内のジングシュピールの言及

【オペラ】より

…その流れを汲むイタリアのオペラ・セーリアopera seria(正歌劇)やフランスのトラジェディ・リリックtragédie lyrique(抒情悲劇)は,古典的な格調の高さにおいて高度の様式美を維持しながら,社会の上層部,支配階級と結びついて発展した。18世紀以降は,これに対して,イタリアではオペラ・ブッファopera buffa(道化オペラの意),フランスではオペラ・コミックopéra comique(喜歌劇,のちにはせりふを含むオペラを意味する),イギリスではバラッド・オペラballad opera(俗謡オペラ),ドイツではジングシュピールSingspiel(歌芝居)など,より庶民的な性格の強いオペラのタイプが興ったが,それらに共通するのは,正歌劇や抒情悲劇の貴族性と形式ばった様式に対する反動とパロディの精神であった。つづく19世紀には,作品の規模,壮大な舞台効果,シリアスな情緒において,かつてない高みに登ろうとした〈グランド・オペラgrand opéra〉に対して,再び庶民的な気軽さと息抜きを求めるオペレッタが興った。…

【オペラ】より

…その流れを汲むイタリアのオペラ・セーリアopera seria(正歌劇)やフランスのトラジェディ・リリックtragédie lyrique(抒情悲劇)は,古典的な格調の高さにおいて高度の様式美を維持しながら,社会の上層部,支配階級と結びついて発展した。18世紀以降は,これに対して,イタリアではオペラ・ブッファopera buffa(道化オペラの意),フランスではオペラ・コミックopéra comique(喜歌劇,のちにはせりふを含むオペラを意味する),イギリスではバラッド・オペラballad opera(俗謡オペラ),ドイツではジングシュピールSingspiel(歌芝居)など,より庶民的な性格の強いオペラのタイプが興ったが,それらに共通するのは,正歌劇や抒情悲劇の貴族性と形式ばった様式に対する反動とパロディの精神であった。つづく19世紀には,作品の規模,壮大な舞台効果,シリアスな情緒において,かつてない高みに登ろうとした〈グランド・オペラgrand opéra〉に対して,再び庶民的な気軽さと息抜きを求めるオペレッタが興った。…

※「ジングシュピール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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