ベンダ(英語表記)Venda

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベンダ」の意味・わかりやすい解説

ベンダ
Venda

1994年まで南アフリカ共和国において共和国として存在した,黒人の指定居住地域。バンツースタンホームランド)の一つ。国際的に承認されることはなかった。ジンバブエのすぐ南側,南アフリカの旧トランスバール州内の飛び地だった(→トランスバール)。首都はシバサだったが,1979年にベンダが独立国となったときにトホヤンドウに移された。ベンダ族は 1700年代初期に今日のジンバブエからこの地域に移住し,多くの王国が成立した。19世紀後半にトランスバール共和国との戦争に敗れ,ベンダ地域は 1898年にトランスバール共和国に併合された。1962年,南アフリカ政府はベンダを,ベンダ語を話す人々のホームランドと定め,地方統治機構を設けた。1973年には部分的な自治が認められ,立法評議会が選出され,パトリック・ムペプが主席大臣に就任。1979年9月13日に南アフリカ政府はベンダを,ムペプを大統領とする独立共和国と宣言。1976年のトランスケイ,1977年のボプタツワナに次いで,南アフリカからの独立が認められた 3番目のホームランドとなった。国際連合安全保障理事会は翌週,この三つの黒人共和国の建国は南アフリカ政府がアパルトヘイトを合法化,永続化しようとする企てだと全会一致で非難した。1994年,アパルトヘイト制度を廃止した南アフリカの憲法のもとで,ベンダは新設された北部州(→リンポポ州)の一部として南アフリカに再編入された。(→シスケイ

ベンダ
Benda, Georg

[生]1722.6.30. スターレベナートキー
[没]1795.11.6. ケストリッツ
ボヘミア生れの音楽家。 F.ベンダの弟。 1742年フリードリヒ大王の宮廷楽団に入り,50~78年ゴータの宮廷楽長,のちハンブルク,オールドルーフ,ケストリッツなどで活躍した。各分野の作品があるが,特にジングシュピールの作曲家として知られる。

ベンダ
Benda, Franz

[生]1709.11.25. スターレベナートキー
[没]1786.3.1. ポツダム
ボヘミア生れの音楽家。 G.ベンダの兄。プラハドレスデンで学んだのち,バイオリン奏者として皇太子時代のフリードリヒ2世 (大王)に仕え,大王の即位後,合奏長となる。バイオリン・ソナタ協奏曲などを作曲。

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改訂新版 世界大百科事典 「ベンダ」の意味・わかりやすい解説

ベンダ
Harry Jindrich Benda
生没年:1919-71

アメリカのインドネシア史研究者。チェコスロバキアのユダヤ系家庭に生まれ,ナチス・ドイツの進出を避けてオランダに,次いでインドネシアに移り,太平洋戦争中は日本軍の捕虜となった。戦後ニュージーランドで大学教育を受けて1950年に卒業し,52年からはアメリカのコーネル大学で研究に専念し,《三日月と昇る日》で55年に哲学博士号を得た。ロチェスター大学で4年間教えた後,59年にイェール大学に移り,死去するまでここで東南アジア史の講義をするかたわら,同大学の東南アジア研究プロジェクトを推進した。学位論文は59年に刊行され,その他東南アジア社会の構造についての大胆な仮説や,インドネシア民族主義運動についての数々の好論文により,学界に大きな刺激を与えた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「ベンダ」の解説

ベンダ

ボヘミアの作曲家。存命中にモーツァルトやハイドンにならぶ人気を誇ったとされる交響曲の他に、室内楽や、教会カンタータ、世俗カンタータ、合唱曲などを作曲した。1750年にはゴータの大公フリードリヒ3世の ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

世界大百科事典(旧版)内のベンダの言及

【バントゥースタン】より

…同法の骨子は(1)アフリカ人の議会代表を廃止し,(2)アフリカ人地域を言語・文化に基づいて10地域に分け,(3)将来,各地域の自治・独立を許す,というものであった。同法に基づいて,63年12月最初のバントゥースタンとしてトランスカイTranskei自治政府が発足し,次いでクワズールーKwaZulu(72年3月),ボプタツワナBophuthatswana(同年5月),シスカイCiskei(同年7月),レボワLebowa(同年9月),ガザンクルGazankuluとベンダVenda(73年1月),バソト・クワクワBasotho Qwa Qwa(74年10月),カングワネKaNgwane(77年9月)が自治国(バントゥースタン)となった。ただクワヌデベレKwaNdebeleは1951年に制定されたバントゥー統治機構法の下に置かれた。…

※「ベンダ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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