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スマトラ島 スマトラとうPulau Sumatera; Sumatra Island

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

スマトラ島
スマトラとう
Pulau Sumatera; Sumatra Island

インドネシア四大島の一つ。同国の西端にある。面積 43万 3800km2。北西-南東に細長い。脊梁をなすバリサン山脈が南西のインド洋岸に迫り,北東のマラッカ海峡,南シナ海に向けてはゆるやかに傾斜して広大な湿地,密林をなしている。アルプスヒマラヤ造山帯に属し,火山が多い。赤道がほぼ中央を通り,季節風が,特に南西岸に多量の雨を降らせる。住民はミナンカバウ族,アチェ族,バタック族,ガヨ族,マレー人などで,中央部から北西部にかけての広い高原や盆地に集中している。紀元前からインド文化の強い影響を受け,7世紀以後シュリービジャヤ王国が栄えた。 15世紀にはイスラム教が広まり,アチェ王国が強大になったが,17世紀にオランダの侵略が始り,19世紀後半から内陸にプランテーション農場を建設。アチェ戦争パドリ戦争など住民の抵抗が続いた。 1945年他のオランダ領インドネシアとともに独立を宣言。自給用産物は米,タピオカ,トウモロコシ。ゴム,コショウ,コーヒー,タバコ,アブラヤシなどのプランテーション農場が多く,石油が豊富で,いずれも輸出される。木材の輸出も多いが,熱帯林保護の観点から規制化の方向にある。主要都市はパレンバンメダン,パダン。行政的には周辺の島を含めて8州に分れる。州域の面積 47万 1780km2,人口 3687万 6000 (1989推計) 。

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デジタル大辞泉の解説

スマトラ‐とう〔‐タウ〕【スマトラ島】

スマトラ

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

スマトラ島
すまとらとう
Sumatra

インドネシア西部、大スンダ列島の西端に位置する島。北西から南東方向に長く、延長約1750キロメートル、最大幅450キロメートル、面積43万3800平方キロメートルで、同国第2位、世界第6位の大島である。人口4330万9707(2000)。構造的にはアルプス造山帯に属し、島の西岸沿いを走る脊梁(せきりょう)山脈、とくに南部のバリサン山脈には最高峰のクリンチ火山(3805メートル)をはじめ約90の火山が連なる。同山脈中には高原、盆地、湖水などが多数点在し、標高が高いことから赤道直下であるにもかかわらず温和な気候に恵まれる。このため北部のトバ、中部のパダンなどの高原は人口稠密(ちゅうみつ)地域となり、スマトラ島の経済活動の中心的存在をなしている。島の中・南部の東側は広大な沖積平野が展開する。これは巨大な脊梁山脈から流れ出すムシ、バタン・ハリ、インドラギリ、カンパルなど幾筋かの大河川によって形成されたもので、大部分が低湿地をなし、密林に覆われる。耕地は、東流する諸河川に沿って開けているにすぎない。海岸は、西岸はインド洋に面し山地が海に迫るため断崖(だんがい)が随所にみられ、またサンゴ礁および隆起サンゴ礁段丘が発達している。これに対して東岸は、東経100度線上のタンジュンバライ以東は低湿なデルタの海岸からなる。気候は、山間の高原地帯を除けば概して弱い乾期のある熱帯モンスーン気候である。年平均気温26~29℃、年降水量2333ミリメートル。もっとも雨量の多い西岸地方は南西モンスーンの影響を強く受けるため、年降水量4000ミリメートル以上を記録する。
 スマトラ島には多数の民族が居住し、その分布、言語、文化はきわめて複雑である。すなわち、中部のパダン高原を中心とするミナンカバウ、トバ湖周辺のバタック、北西部のアチェー、南部のランポンの4民族が大きな集団をなし、そのほかガヨ、マレー、ニアスなどいくつかの民族が独自の文化と慣習をもち居住している。
 スマトラ島の経済開発は、1904年にオランダが植民地として支配するようになってからである。東部の山麓(さんろく)や沖積平野のタバコ、天然ゴム、コーヒー、コプラ、紅茶などのエステート(大農場)と、石油を中心とした地下資源の開発を二本柱としたものであった。その後、土着農業が商品作物の生産に結び付き、急速な発展を遂げた。とくに天然ゴムの生産はインドネシアの大半を占め、同国はタイに次ぐ世界第2位の生産国(世界総生産の26.3%、1998)であり、原油、天然ガス、石油製品に次ぐ重要な輸出品となっている。一方、油田は東部の南スマトラ州、北西部のナングロ・アチェー・ダルサラム州に分布しており、全国産油量の70%以上を占める。前者の州にはスマトラ島第二の大都市パレンバンがあり、巨大な精油所が建ち並び、名実ともにインドネシアのみならず東南アジア最大の油田地帯を形成している。その開発は20世紀の初期、イギリス、オランダの両国によって行われたものである。また、近年、森林資源の開発も行われている。
 行政上は、ナングロ・アチェー・ダルサラム、北スマトラ、西スマトラ、リアウ、ジャンビ、南スマトラ、ベンクル、ランポン、バンカ・ビリトゥンBangka Belitungの9州からなる。[上野福男]

歴史

7世紀後半スマトラ南部に興ったシュリービジャヤは、マラッカ海峡の交易を支配した海洋貿易国家であると同時に、交易を通じてインドの文化を受容した仏教王国でもあった。王国の版図は一時スマトラの大半、マレー半島、西ジャワにも及んだが、11世紀初め南インドのチョーラ朝による二度の攻撃のためその勢力は衰え始め、14世紀なかばごろジャワのマジャパヒト王国の攻略を受けて滅亡した。当時スマトラ北端の小王国にイスラム教が浸透し始め、16世紀初頭にはこれらを統一したイスラム王国アチェーが成立した。一方、ポルトガルのマラッカ占領(1511)以降、ヨーロッパ勢力は急速にマラッカ海峡地域へ進出し始めた。スマトラ各地も17世紀初頭から19世紀なかばごろまでに主としてオランダに領有されていった。1871年の条約によりイギリスはスマトラから撤退し、オランダが同島の植民地経営を行うこととなった。頑強に抵抗していたアチェーは1904年に、バタックも07年にオランダに敗れ、スマトラ全島はオランダの植民地となった。オランダは19世紀後半から鉱山開発に着手し、1883年には早くもランカット油田の採掘をヨーロッパ企業に許可した。20世紀に入るとゴム、タバコ、コーヒー栽培がスマトラ東海岸地域を中心に拡大された。1920年代に反植民地運動が活発化すると、スマトラ(とくにミナンカバウ)は多数の指導者を輩出した。第二次世界大戦中は日本軍に占領され、1945年の独立以後スマトラはインドネシア共和国の一部を構成した。しかし、一部にはジャワ中心の政治体制に不満を抱く勢力もあった。彼らは1956年末に反政府反乱を起こしたが、まもなく鎮圧された。[大木 昌]

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