チェコ国民音楽の基礎を築いた作曲家。3月2日、アマチュア音楽家であったビール醸造技師の長男としてボヘミアに生まれる。幼時からピアノとバイオリンを学び、すでに6歳でピアノの公開演奏を行った。ギムナジウム時代に、のちに革命派の有名な詩人となるハブリーチュクと知り合い思想的影響を受ける。1843年、父の反対にもかかわらず職業的音楽家を目ざしてプラハに向かい、プロクシュに和声法、対位法、作曲を学ぶ。46年にはベルリオーズやシューマンに会い、48年にはリストにピアノ曲を献呈し、温かな援助を受けた。当時オーストリアの支配下にあったチェコでは、民衆の間に抵抗運動が広がり、48年6月にはプラハで動乱が勃発(ぼっぱつ)した。民族意識に目覚めたスメタナは国民義勇軍に加わり、さらに『国民軍行進曲』などを作曲した。しかし動乱失敗以後の反動政治の下では自由な音楽活動が抑圧されたため、友人の勧めでスウェーデンに向かい、イョーテボリで音楽学校を開設した。そしてこの教育活動の成功を契機にしてハーモニー協会の指揮者にも迎えられ、ヘンデルからメンデルスゾーンまでの合唱曲の大作や現代曲の紹介と普及に努めた。また作曲活動にも力を注ぎ、57年ワイマールで対面したリストから強い影響を受けて3曲の交響詩を完成した。
1860年代に入りオーストリアの圧力が緩み始めると、チェコにもようやく民族文化建設の時機が到来した。そしてプラハに国民劇場が計画され、さしあたり仮劇場が建設されることになった。スメタナは61年5月に帰国して自作演奏会を開いたが、当時音楽界の実権を握っていた保守派は、作品にリストやワーグナーの影響が強いことを手厳しく批判した。しかし彼は新たな国民音楽の創造に向けて活発な啓蒙(けいもう)活動を行い、やがてフラホル合唱協会の指揮者および芸術協会音楽部門議長に就任。彼の最初の国民歌劇『ボヘミアにおけるブランデンブルク家の人々』(1862~63)は保守派の反対を受け、66年ようやく初演されたが、聴衆には好意的に迎えられ、さらに喜歌劇『売られた花嫁』(1863。後に改訂)は大成功を収めた。そしてその成功によって、スメタナは仮劇場主席指揮者に就任した。伝説的英雄を主題にした第三作の悲劇『ダリボル』(1865~67)は、ワーグナー的色彩のために保守派から排斥されたが、彼は長期間をかけてさらにオペラ創作に取り組み、69~72年に作曲した『リブシュ』は81年の国民劇場の杮落(こけらおと)しに上演された。この『リブシュ』完成後の74年にはオペラと同様に国民主義的な連作交響詩『わが祖国』を構想し、彼の創作力は高みに達したが、同年10月には耳疾が急激に悪化して聴覚を完全に失った。そのため、すべての公的職務から退いたが、保守派の冷遇にもかかわらず作曲し続け、6年余をかけて交響詩『わが祖国』を完成し、3曲のオペラ、弦楽四重奏曲『わが生涯より』(1876)などを創作した。しかし83年末から精神錯乱の兆候が現れ、翌84年5月12日、プラハの精神科病院で生涯を終えた。
スメタナは、チェコの音楽様式はチェコ民謡を土台にすべきであるという保守的な国民主義の考え方を排し、8曲のオペラと多くの交響詩において、ボヘミアの伝説、英雄、風景、思想を生来の劇的才能で鮮やかに具現している。また、自叙伝的な弦楽四重奏曲『わが生涯より』は、後の世代の標題弦楽四重奏曲に道を開いた。
[寺本まり子]
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チェコの作曲家。幼いころから音楽への才能を示し,ピアノと作曲を学ぶ。1848年フランスの二月革命がチェコにも及び,プラハで急進派が蜂起したときそれに参加,革命軍のための行進曲や《自由の歌》を書いた。革命が鎮圧された後は,リストの援助を得てプラハに音楽学校を開設。56年から5年間はスウェーデンのイェーテボリ市の音楽協会〈ハーモニー協会〉の指揮者を務めた。61年帰国ののちは,再び大きな盛上がりをみせていたチェコの民族運動の音楽的スポークスマンとして大活躍を始め,チェコ人のための国民劇場完成までの仮劇場のために,《チェコのブランデンブルク人》(1863)や《ダリボル》(1867)のようなナショナリズムを鼓吹した愛国的なオペラを作曲,また,理想化されたチェコの農村の姿をミュージカル・コメディ風に描いた《売られた花嫁》(1866。1870改訂)の大成功によって,仮劇場の首席指揮者の地位も手中に収めた。しかし74年,50歳のときに聴覚を失い,晩年はチェコ北部のヤブケニツェ村に隠とんし,肉体的・精神的状態の悪化と戦いながら作曲に専念。祖国の風物と民族を賛美した6曲から成る交響詩組曲《わが祖国》(1879。その第2曲《モルダウ》はとくに親しまれている)や自叙伝的な二つの弦楽四重奏曲,《第1番わが生涯より》(1876)と《第2番ニ短調》(1883)を完成したのち,プラハの精神病院で狂死した。作品にはなお合唱曲と歌曲,多数のピアノ曲などもあるが,〈ボヘミア楽派〉といわれるチェコの国民楽派の創始者であり,ロシアのムソルグスキーやフランスのベルリオーズと並んで,音楽におけるリアリズムのあり方を後世に示した先駆者の一人でもあった。
執筆者:佐川 吉男
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出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
1824~84
チェコの作曲家。チェコ国民楽派の創始者。1848年の革命に際し,学生歌などを作曲。56~61年にスウェーデンで指揮者を務め,帰国後民族運動に参加し,国民劇場の創設に寄与した。歌劇「売られた花嫁」,交響詩「わが祖国」などを作曲。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…スメタナの連作的な交響詩。チェコの風物と伝説を,躍動するリズム,色彩感にあふれる和声,親しみ深い旋律をもって描いた6曲《ビシェフラト》《モルダウ》《シャールカ》《ボヘミアの牧場と森から》《ターボル》《ブラニーク》からなる。…
※「スメタナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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