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ズールー族 ズールーぞくZulu

翻訳|Zulu

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ズールー族
ズールーぞく
Zulu

南アフリカ共和国東部のクワズールー・ナタール州を中心に居住する半定住農耕牧畜民。人口約 900万と推定される。南バンツー語系諸族のングニ諸族に属し,言語的,文化的にスワジ族コーサ族と密接な関連をもつ。15世紀に北方から移動したといわれるングニの一氏族であったが,19世紀前半には,シャカ王のもとに,年齢組に基づく軍団を組織して強大な征服王国を築いた。1838年ボーア人に敗れ,北方に追いやられた。社会組織の基本単位は氏族で,その各分節は父系の数世帯からなり,長老たる首長の支配下にあった。1970年代には政府の政策によりズールーランドクワズールー)に自治政府が設けられた。ズールー族の政治結社としてインカタ自由党が支持されている。

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世界大百科事典 第2版の解説

ズールーぞく【ズールー族 Zulu】

南アフリカ共和国東部に住む大きな部族。人口は568万(1980)に達し,同国のアフリカ人のなかでも最大の勢力をもっている。ズールー語はバントゥー系に属する。牛を飼育しながら南方に移動し,10~14世紀に南アフリカに達したといわれる。 ズールー族の住む地域はズールーランドと呼ばれたが,ズールー族は19世紀初めのシャカ王の時代に強力な軍事力によってズールー王国を形成した。1830年代にケープ植民地のボーア人たちがイギリスの支配に反発して北方への大移動(グレート・トレック)を開始した結果,ズールー族と衝突し,1838年の血の河の戦でズールー王国は手痛い敗北を被った。

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世界大百科事典内のズールー族の言及

【ズールー王国】より

…19世紀南アフリカ東海岸部に栄えた王国。19世紀初めズールーZulu族の王となったシャカは,軍事組織と武器を改革し,周辺の部族をつぎつぎと統合していった(この時期を〈衝突の時代〉という)。まずムセスワ族,ヌドワンドウェ族を破ってナタール一帯を統合し,1824年にはポート・ナタール(現,ダーバン)のイギリス人入植者と友好関係を結んで鉄砲を入手し,それを使ってさらに王国の版図を広げた。…

【ズールー王国】より

…半年後,イギリスは大軍を派遣し王都ウルンディを占領,セテワヨを捕虜にした。イギリスはズールー族を13の小部族に分割,統治した。86年セテワヨの息子ディヌズールーが蜂起し共和国をつくったが,97年共和国は分割され,ボーア人のトランスバール共和国とイギリスの植民地ナタールにそれぞれ併合された。…

【ズールーランド】より

…東はインド洋にのぞみ,北西はスワジランド,北はモザンビークに接する。住民の大部分はズールー族で,ズールー族はかつて現在のズールーランドよりはるかに広大な地域を占めるズールー王国をつくりあげた。1837年にディンガネ王が侵略してきたボーア人(オランダ系白人)500人以上を殺したため,翌年報復として3000人のズールー族が殺された。…

※「ズールー族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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