改訂新版 世界大百科事典 「コーサ族」の意味・わかりやすい解説
コーサ族 (コーサぞく)
Xhosa
南アフリカ共和国の南東部,トランスケイとシスケイに住む,人口約350万(1970)の大きな部族。ズールー族,ポンド族,スワジ族などとともに,言語的にはバントゥー語族のなかのヌグニ語グループに属する。クリック(吸打音)を持つのは,先住民のサンとの接触による影響とされている。コーサ族はバントゥー語族のなかでも最南端に位置する。17世紀に南アフリカに入植した白人が,18世紀に入ってケープ地方から東に植民地の拡張を開始した際,彼らは1世紀にわたり激しい抵抗を示したが,結局敗退した。それ以後,白人との接触のため文化変容を受けたが,なお伝統的な生活様式を残している。トウモロコシ,ソルガムを主作物とする農業に従事しながら,同時に牛,ヤギ,羊などの家畜飼養を行う農牧民である。牛は社会生活,宗教生活にも重要な価値を持ち,花嫁代償(婚資)に用いられるとともに,割礼などの儀礼の際に犠牲としてささげられる。居住は牛を囲いに入れた,大家族の家屋敷(クラール)を単位としている。トランスケイおよびシスケイは,南アフリカ共和国政府が白人・黒人の分離をはかって設立したバントゥースタン(ホームランド)である。白人政権はこれらのバントゥースタンの独立を図り,1976年にトランスケイ,81年にシスケイの独立を一方的に認めたが,これらの独立は国際的に承認を受けていない。バントゥースタンは経済的自立が望めず,人口も過密で,多数の人々がバントゥースタンの外へ出稼ぎ労働者として出かけている。コーサ族のなかからは商人,教師,政治家のほか,ボクウェJ.K.Bokweなどの著名な劇作家も出ている。コーサ族はズールー族の集権的な王国のような高度の政治組織は持たなかったが,伝統的にやはり首長制国家を形成していた。今日でも議会代表には,首長制温存をはかる保守的な首長層があたることが多く,南ア共和国の政策へ迎合する政治的土壌となっている。
執筆者:赤阪 賢
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報