日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
セイコーホールディングス(株)
せいこーほーるでぃんぐす
時計、光学、情報関連事業等を展開する子会社を統括する持株会社。1881年(明治14)服部(はっとり)金太郎(1860―1934)が東京・京橋に創業した輸入時計販売の服部時計店を発祥とする。1892年精工舎を開設して掛時計製造を開始、懐中時計、置時計などの生産に進出する。1917年(大正6)資本金500万円の株式会社として以降、事業は順調に拡大、腕時計、写真機用シャッターの生産に成功する一方、製品輸出先もアジアから欧米にまで拡大した。1934年(昭和9)嗣子(しし)服部玄三が社長に就任、以後2001年(平成13)の完全持株会社化まで一族が継いでいる。1937年には生産増大に伴って第二精工舎(現セイコーインスツル)を設立した。1945年(昭和20)服部精工と改称したが、翌46年服部時計店に復称。1959年、諏訪(すわ)精工舎(現セイコーエプソン)を設立して生産能力を増強するとともに販売体制を拡充、技術的にも64年東京オリンピック公式時計担当を機に世界的に認められ、昭和40年代には海外代理店に加えて各国に販売の現地法人を設立した。1970年、本社工場精工舎を株式会社精工舎として分離、69年末からクォーツを開発・発売して売上高の急増をみた。1983年服部セイコーと改称、世界最大規模の時計販売会社に成長。1997年(平成9)セイコーに社名変更。1990年代より各事業の分社化を進め、2001年7月に完全持株会社となる。2007年より現社名。傘下には和光(高級品専門店)、セイコーウオッチ(時計事業)、セイコープレシジョン(光学関連事業)等がある。またセイコーホールディングスはセイコーインスツル、セイコーエプソンの2社とともにセイコーグループの中核をなす。資本金100億円、売上高2140億円(2008。連結ベース)。
[田付茉莉子]
『内田星美著『時計工業の発達』(1985・セイコー時計資料館)』▽『小林隆太郎著『知られざる企業集団 セイコーグループ』(1987・日本工業新聞社)』