日本大百科全書(ニッポニカ) 「精密機械工業」の意味・わかりやすい解説
精密機械工業
せいみつきかいこうぎょう
測定機器、光学機器、電子機器、医療用機器、眼鏡、時計など、高い精度が要求される機器を生産する工業。日本標準産業分類においては、眼鏡製造業、時計・同部分品製造業は「その他の製造業」に、他の関連製造業は「業務用機械器具製造業」に分類されている(2007年の改定以前は「精密機械器具製造業」という項目の下に、計量器・測定器・分析機器・試験機製造業、測量機械器具製造業、医療用機械器具・医療用品製造業、理化学機械器具製造業、光学機械器具・レンズ製造業、眼鏡製造業、時計・同部分品製造業が分類されていたが、機械器具の生産構造の変化に適合させるため再編された)。また、東京証券取引所の33業種分類では、時計、電子機器、光学機器、計測機器、通信機、小型工作機械等とカテーテル・人工臓器・歯科用材料器具等医療用器具を精密機器としている。それゆえ、通常、精密機械工業は、計測機器・医療用機器・理化学機器・光学機器・レンズ・眼鏡・時計製造業、小型工作機械製造業等から構成される。多様な業種を包摂している精密機械工業は、デジタル化の進展により、各製造業間ないしは同一企業内で類似する事業の融合化を進めている。融合化されたどの分野も、高水準の精度を要求される機械器具の生産を主体としている。そして、日本の精密機械工業の技術水準は高く、強力な国際競争力を有している点で注目される。さらに、マイクロマシン、ナノマシンといった先端領域の開発も進展しつつある。
[大西勝明 2016年5月19日]
展開過程
日本の精密機械工業の生成は古く、1851年(嘉永4)には田中製造所(のちの芝浦製作所。現、東芝)の創業者田中久重(ひさしげ)により万年時計が製作されている。その後、1873年(明治6)には写真および石版材料を取り扱う小西屋六兵衛店(のちの小西六本店、コニカ。現、コニカミノルタ)が創業した。他方、1914年(大正3)には和文タイプライターがつくられており、1916年には日本精工が設立されている。しかし、第二次世界大戦前の日本の精密機械工業は、国際競争を展開できるような状態にはなかった。戦前、戦中の軍事生産優先政策が、民需機器の発展を阻んできた。時計、事務機械の工場は軍事工場への転換を強制され、一部を除き生産が中断され、そのうえ工場は戦禍を受けることになる。ただ、光学機器のみは、軍事的用途をもち、かつ第二次世界大戦中ヨーロッパからの輸入の途絶により自主開発が課題となっていたことから、他部門とは異なり重要視された。
第二次世界大戦後のカメラの生産が果たした先導的役割は、こうした光学機器分野の足跡を基盤としている。そして、カメラ生産は、生産性を高め、輸出額を伸ばし、復興期の日本の外貨獲得に大きく貢献した。その後、精密機械工業が画期的な躍進を遂げるのは高度成長期である。時計需要の増大に牽引(けんいん)され、高性能な自動加工機や、高精度の測定器の導入が進み、ベルトコンベヤーを装備した流れ作業による時計生産が定着した。カメラの場合も、マスプロ(量産)体制を確立して35ミリカメラの生産が急増している。こうした新製品開発を伴った生産工程の変革、量産化は、時計、カメラにとどまらず、事務機械や他の領域にも及んでいる。また、重化学工業化、設備投資の増大は、機械・装置の計装化を推進することになり、計測機器市場が拡大している。
1973年(昭和48)のオイル・ショック後、一部で生産過剰をきたしながらも、精密機械工業の国際競争力はいっそう強化されることになる。エレクトロニクス技術の発展により、精密機械が高性能化しており、とくに、医療用機器、半導体製造装置の躍進は目覚ましかった。そして、デジタルカメラや発電機能つき時計、電波時計が開発された。さらに、計測機器分野では半導体・IC測定器など電気計測器が台頭し、複写機分野ではアナログ機からデジタル機、カラー機、複合機へのシフトが顕著なものとなる。キヤノン、リコーが世界のマーケットシェアの40%以上を占め、プリンターでもキヤノン、セイコーエプソンが世界をリードしていた。デジタルカメラ部門でも、キヤノン、オリンパス、富士(写真)フイルム、ニコン、カシオ計算機、旭光学(ペンタックス)等の精密機械メーカーが世界市場をほぼ独占していた。日本の精密機械工業は強力な国際競争力を構築し、輸出をも拡大した。
[大西勝明 2016年5月19日]
1990年代以降の動向
バブル経済の崩壊後、精密機械工業は、とくに、1996年(平成8)以降業績悪化を招き、長期的な低落傾向に陥ることになる。1990年から2000年(平成12)にかけて生産規模は半減し、事業所数は2000以上も減り、従業者も10万人近く減少している(『工業統計表』従業者4人以上の事業所統計)。一部輸出が増大しているが、輸出の過半を時計やカメラではなく半導体製造装置、複写機、医療用機器が占めた。時計やカメラの輸出入額は逆転しており、輸入依存体制が形成された。21世紀に入っても状況は厳しく、2003年にはコニカミノルタホールディングスの誕生があり(2013年コニカミノルタに名称変更)、2006年にはペンタックスがHOYA(ホーヤ)に吸収合併されている(その後2011年リコー傘下のペンタックスリコーイメージングとなり、2013年リコーイメージングに名称変更)。ただ、計量器・測定器・分析機器・試験機・測量機械器具・理化学機械器具製造業の2013年の事業所数は1516、従業者数5万5278人、出荷額は1兆4475億円であり、2010年比で事業所数は減少したが、従業者数、出荷額は若干増えている。なかでも、はかり、精密測定器、試験機、とくに、理化学機械器具製造業が増加部分を支えている。医療用機械器具・医療用品製造業も2013年には、事業所数1090、従業者数4万5214人で2010年比で減少し、出荷額のみ約1兆1199億円で増加している。光学機械器具・レンズ製造業の2013年の事業所数は523、従業者数2万2972人、出荷額約4兆8948億円となり、どの指標も減少傾向にある。時計・同部品製造業の同年の事業所数は91、従業者数7441人、出荷額約2391億円、眼鏡製造業の同年の出荷額は1088億円、事業所数253、従業者7928人でいずれも2010年より減少している(『工業統計表』従業者4人以上の事業所統計)。また、科学光学機器は日本の主要輸出品目であり、2008年のリーマン・ショックの際には落ち込んだが、2015年には約2兆2610億円になっている。輸出先はアジアのウェイトが、1兆5839億円で70%と高く、とくに、中国向けは減少しながらも8502億円で37.6%を占めている。精密機械の輸入額は増えてきており、輸出額と輸入額を比べると、1990年には輸入額は輸出額の3割にも満たなかったが、2000年には4割を上回った。そして、2015年の科学光学機器の輸入額は輸出額の73%に達している。アジアからの輸入額が最多であるが、アメリカ、ヨーロッパ連合(EU)、中国とそれほど大きな差はない(財務省『貿易統計』)。また、2014年の精密機械のフローの対外直接投資額は、6億4400万ドルまで低落し、減少傾向をたどっている(ジェトロ『世界貿易投資報告』)。
[大西勝明 2016年5月19日]