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セスペデス セスペデス Céspedes, Carlos Manuel de

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

セスペデス
セスペデス
Céspedes, Carlos Manuel de

[生]1819
[没]1874
キューバ独立運動の先駆者。 1868年 10月 10日,オリエンテ地方のヤラの町で独立宣言を発して (→ヤラの叫び ) ,スペインに対する独立十年戦争を開始,69年には革命派の大統領に選ばれたが,73年辞任。

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セスペデス
セスペデス
Céspedes, Pablo de

[生]1538. コルドバ
[没]1608. コルドバ
スペインの画家,彫刻家,詩人。ラ・デ・エナレス大学で学び,1560年代にイタリアを旅行してミケランジェロラファエロの作品を模写。またマニエリスムの画家ツッカロの工房に出入りする。ローマで彼はサンタ・マリア・ダラコエリ聖堂およびトリニタ・ディ・モンティ聖堂のために壁画を描く。

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セスペデス
セスペデス
Céspedes y Meneses, Gonzalo de

[生]1585? マドリード
[没]1638. マドリード
スペインの小説家。『兵士ピンダロの多難な運命』 Fortuna varia del soldado Píndaro (1626) が代表作。政治的著作が当局の忌諱に触れ,サラゴサリスボンに亡命したが,のちにフェリペ3世を賛美する歴史書を書き,王室おかかえの歴史家となった。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

セスペデス Cespedes, Gregorio de

1551-1611 スペインの宣教師。
イエズス会司祭。天正(てんしょう)5年(1577)長崎に来着。京坂各地で布教,豊臣秀吉に謁見。15年細川ガラシャの入信を手引きした。文禄(ぶんろく)の役には小西行長にしたがって朝鮮にわたる。慶長7年より細川忠興(ただおき)の城下豊前(ぶぜん)小倉(福岡県)で活動,慶長16年11月同地で病死。60歳。マドリード出身。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

セスペデス

没年:慶長16.11(1611)
生年:1551
スペイン人イエズス会士。マドリード生まれ。1569年イエズス会入会,75年インドのゴアで司祭になり,天正5(1577)年来日し大村(長崎県)で日本語を学んだのち,岐阜,大坂で布教。同15年大坂の教会で細川忠興夫人玉子の来訪を受ける。玉子はこれを契機にキリシタンとなり,ガラシアの名を持つ。秀吉のキリシタン追放令で平戸へ移る。文禄の役に際し小西行長と朝鮮へ渡る。ガラシア夫人の指導司祭であったことから忠興の信頼を得,慶長6(1601)年忠興が小倉を領すると同地にレジデンシア(コレジョに属する分区)を創設,ガラシアの命日には荘厳な追悼ミサを挙行。同16年小倉で急死。それまで教会を保護していた忠興は宣教師を領内から追放した。

(片岡瑠美子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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