日本大百科全書(ニッポニカ) 「セント・ポール大聖堂」の意味・わかりやすい解説
セント・ポール大聖堂
せんとぽーるだいせいどう
Saint Paul's Cathedral
ロンドンの司教座聖堂。起源は604年ごろケント王国のエセルバートEthelbert(Aethelberht)王(552?―616、在位560~616)によって建立された小聖堂にさかのぼるが、12~14世紀に新築された大規模なノルマン様式の建物は1666年のロンドン大火で完全に倒壊した。新聖堂の造営計画は当時の指導的建築家クリストファー・レンに委嘱され、1675~1710年にラテン十字形のプランによる現在の新古典主義様式の建築を完成した。
聖堂建築としてはバチカンのサン・ピエトロ大聖堂に次ぎ世界第二の規模をもつ。正面にはコリント式の双柱群が上下2層に配列され、イタリア・バロック様式の流れをくむ双塔の間には柱廊が張り出して、その上にペジメント(三角形の切妻屋根)が架せられる。正面の2層をなしている双柱群の配列は、両側面にそのまま延長されるが、力強く突出した翼廊の先端部は半円形の柱廊で装われる。容量豊かなクーポラ(円蓋(えんがい))は、2層をなすドラム、半球体および頂塔からなり、地上からの高さは110メートルに及ぶ。また双塔のうちの右側の通称「時計塔」には、1881年に鋳造された重量17トンの釣鐘が組み込まれている。三廊式の堂内(173×38メートル)には、四囲にあけられた大窓およびクーポラから採光がなされ、身廊や翼廊を装う大理石彫刻や木彫が際だてられる。地下礼拝堂には、提督ネルソン、この聖堂の設計者レン、画家ファン・ダイク、科学者フレミングらの墓所が置かれている。
[濱谷勝也]