セントポール大聖堂(読み)セントポールダイセイドウ

デジタル大辞泉 「セントポール大聖堂」の意味・読み・例文・類語

セントポール‐だいせいどう〔‐ダイセイダウ〕【セントポール大聖堂】

St. Paul's Cathedral
セントポール寺院
オーストラリア、ビクトリア州の州都メルボルンの中心街にある聖公会の大聖堂。フリンダース通りとスワンストン通りの角に位置し、フェデレーション広場に隣接する。1891年、ウィリアムバターフィールドの設計によりネオゴシック様式で建造。
フィリピンルソン島北部西岸の都市ビガンにあるローマカトリックの大聖堂。市街中心部に位置し、サルセード広場に面する。スペイン統治時代の1574年に創建。1800年に再建された。ビガンの代表的な歴史的建造物であり、1999年に「ビガン歴史都市」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。
米国ミネソタ州南東部の都市セントポールにある大聖堂。1915年に新古典主義様式で建造。最初に大聖堂が建てられた1840年代、同地はピッグズアイとよばれていたが、現聖堂の完成を機に改称された。

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改訂新版 世界大百科事典 「セントポール大聖堂」の意味・わかりやすい解説

セント・ポール大聖堂 (セントポールだいせいどう)
Saint Paul's Cathedral

ロンドンの中心に建つ英国国教会の司教座教会。現在の建物は1675-1710年にC.レンによって建てられたもの。604年に現在の地に司教座教会が創設されたが,1087年火災に遭い焼失。この後ゴシック様式による大教会が再建され13世紀末に完成したが,1561年火災のため尖塔を焼失し,身廊部も修復を必要とする状態となった。1634年からI.ジョーンズの手によって修理が開始されたものの,66年のロンドン大火のために壊滅的被害を被った。それ以前から修復に携わっていたレンは,69年に第1次の再建案を設計。この案は大聖堂の中央ではなく西正面にドームを頂くものであったため聖職者らの賛同を得られず,73年レンは〈グレート・モデル〉と呼ばれるギリシア十字形の計画案をつくった。この案も承認されず,ラテン十字形の案に変更され,75年に国王の承認を得,修正を加えながら工事にかかり1710年に完成した。西正面は2層に円柱を重ね,両わきに小塔をもち,身廊交差部に直径112フィート(約34m)のドームをもつ。ドームにはローマのサン・ピエトロ大聖堂の影響が感じられるが,ドームを支える円柱は均等に配置され,また西正面にも大オーダーを用いず,バロック時代の建物でありながら抑制のきいた構成を示している。また,身廊を支える構造にゴシック的な控え壁を内蔵している点に,イギリスの経験主義的設計法が感じられる。建物の全長は515フィート(約157m)でサン・ピエトロ大聖堂よりひとまわり小さいが,これだけの規模の教会を1人の建築家がすべて設計した例はこの時代に絶無であり,様式的統一感にあふれている。内部の木彫装飾はギボンズGrinling Gibbons(1648-1720)の作。クリプト(地下聖堂)にはネルソン,画家ターナー,ウェリントン公,そしてレン自身をはじめ知名人の墓が多い。第2次大戦で東端部や北側交差身廊に被害があったが復旧された。ドーム基部内側の回廊は,円形の壁を伝わって小さな物音もよく伝わるので,〈ささやきの回廊〉と呼ばれる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「セントポール大聖堂」の意味・わかりやすい解説

セント・ポール大聖堂
せんとぽーるだいせいどう
Saint Paul's Cathedral

ロンドンの司教座聖堂起源は604年ごろケント王国のエセルバートEthelbert(Aethelberht)王(552?―616、在位560~616)によって建立された小聖堂にさかのぼるが、12~14世紀に新築された大規模なノルマン様式の建物は1666年のロンドン大火で完全に倒壊した。新聖堂の造営計画は当時の指導的建築家クリストファー・レンに委嘱され、1675~1710年にラテン十字形のプランによる現在の新古典主義様式の建築を完成した。

 聖堂建築としてはバチカンのサン・ピエトロ大聖堂に次ぎ世界第二の規模をもつ。正面にはコリント式の双柱群が上下2層に配列され、イタリア・バロック様式の流れをくむ双塔の間には柱廊が張り出して、その上にペジメント(三角形の切妻屋根)が架せられる。正面の2層をなしている双柱群の配列は、両側面にそのまま延長されるが、力強く突出した翼廊の先端部は半円形の柱廊で装われる。容量豊かなクーポラ(円蓋(えんがい))は、2層をなすドラム、半球体および頂塔からなり、地上からの高さは110メートルに及ぶ。また双塔のうちの右側の通称「時計塔」には、1881年に鋳造された重量17トンの釣鐘が組み込まれている。三廊式の堂内(173×38メートル)には、四囲にあけられた大窓およびクーポラから採光がなされ、身廊や翼廊を装う大理石彫刻や木彫が際だてられる。地下礼拝堂には、提督ネルソン、この聖堂の設計者レン、画家ファン・ダイク、科学者フレミングらの墓所が置かれている。

[濱谷勝也]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セントポール大聖堂」の意味・わかりやすい解説

セント・ポール大聖堂
セント・ポールだいせいどう
Saint Paul's Cathedral

ロンドンのラドゲイト・ヒルにある大聖堂。 1666年の大火で旧聖堂は焼失し,C.レンが再建案を作成。 75年の第3案に基づき着工。 1710年に完成。平面は 141m,31mのラテン十字形の長堂形式で,十字交差部は大ドームを支える広い円形空間となっている。 65mにもなる3重殻の大ドームは,8本のピアにより支えられ,ドーム内には推力による破壊を防ぐため「レンの鎖」がその基部に埋込まれている。その他の構造的工夫もレンの発明の才を示すとともに,近世の大聖堂建築のうちでもすぐれた構造を有するものとされている。西正面には中央に重層のコリント式オーダーの柱が並び,ペディメントを支え,その左右には大胆な意匠の塔が立てられている。ドームの着想は,D.ブラマンテのテンピエットから得られ,古典主義的であるが,塔にはボロミーニ式の意匠でバロック的な影響を受け,その全体構成からして,イギリス・バロック建築の代表作とされる。この大聖堂は設計から完成までが1人の建築家によりなされた珍しい例でもある。

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百科事典マイペディア 「セントポール大聖堂」の意味・わかりやすい解説

セント・ポール大聖堂【セントポールだいせいどう】

ロンドンにある教会。現在の建物はC.レンの設計により,十字形プランを基本とし中央に大きなドームをもつ。1675年着工,1710年完成。地下聖堂にはネルソン,ウェリントンらの墓がある。
→関連項目ジョーンズダイアナロンドンロンドン大火

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世界大百科事典(旧版)内のセントポール大聖堂の言及

【テンピェット】より

…柱式とドームを巧みに組み合わせた調和的構成,全体と細部にわたる厳密かつ明快な比例,初層のドリス式オーダーに代表される正しい古典的意匠のゆえに,ルネサンス建築の根幹をなす古典美と比例的調和の理念を具現した理想建築として,すでに同時代から賞賛されてきた。ロンドンのセント・ポール大聖堂,パリのサント・ジュヌビエーブ教会(パンテオン)の大ドームの意匠も,この円堂の外観に負うところが大きい。【日高 健一郎】。…

【ドーム】より

…ローマのサン・ピエトロ大聖堂のドーム(16世紀,設計ミケランジェロ,建設ジャコモ・デラ・ポルタ)もリブ式二重殻構造をとる。これら組積造大ドームでは,下端の推力に対抗して木鎖ないし鉄鎖が埋めこまれたが,この構法を最も合理的に応用した例はレンによるセント・ポール大聖堂のドーム(ロンドン,17世紀)である。一方,ほぼ同じ時期のイタリア・バロックの教会堂では,小規模ながら空間の劇的効果を高める複雑かつ幻想的なドームがみられる(サン・ティーボ聖堂,設計ボロミーニ)。…

※「セントポール大聖堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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