ソビエト大百科事典(読み)ソビエトだいひゃっかじてん(その他表記)Bol'shaya Sovetskaya Entsiklopediya

改訂新版 世界大百科事典 「ソビエト大百科事典」の意味・わかりやすい解説

ソビエト大百科事典 (ソビエトだいひゃっかじてん)
Bol'shaya Sovetskaya Entsiklopediya

ソ連邦共産党中央委員会と閣僚会議の決定に基づいてモスクワの〈ソビエト百科事典出版所〉が刊行した総合的百科事典。内容は国際的だが党・政府の公的見解を含み,ソ連邦に関する重要な情報源である。これまでに,三つの版がある。(1)初版 1926-47年刊。65巻。別巻〈ソ連邦〉1冊。累計8万部発行。項目数6万5000。事典出版のため株式会社(後に改組)を設立し,30巻の予定で巻数順に刊行を始めたが,激動の歴史のなかで,ブハーリン筆頭とする編集陣も失脚粛清・死亡などによりつぎつぎに変わり(変わらなかったのは編集主幹O.Yu. シミットただ1人),刊行の遅れを取り戻すため最終巻からも逆順に並行して出版するなどの曲折をへて,21年後予定巻数を倍以上超過してようやく完結した。〈明確な世界観〉=弁証法的唯物論に基づくことをうたい,長大な項目の多いこの初版は,次の第2版で〈理論的・政治的に重大な誤謬を含む〉と批判されたが,ソ連邦初期路線の軌跡とみれば史料的価値は大きい。(2)第2版 1950-60年刊。51巻。別巻索引2冊。1957年から《ソビエト大百科事典年鑑》発行。第50巻〈ソ連邦〉。第51巻〈補遺〉。編集主幹S.I.バビロフ,彼の死後8巻からB.A.ブベデンスキー。公称30万部発行。10万項目。〈社会主義の世界史的勝利を宣揚する〉ことを標榜する。刊行中に始まったスターリン批判のためか〈スターリン〉を含む巻の刊行が1年遅れた。1950年代に日本でいくつかの項目が翻訳され,文庫本で普及したものもある。(3)第3版 1969-81年刊。30巻31冊。別巻人名索引1冊。第24巻第2分冊〈ソ連邦〉。編集主幹A.M.プローホロフ。公称63万部。10万項目以上。第2版が〈現代世界の甚深な変化を反映しなくなった〉ために企画され,全体に項目を短くしてコンパクトになった。並行してマクミラン社から出た英語版《Great Soviet Encyclopedia》31巻,別巻索引1冊(1973-83年刊)は,原著各巻ごとの翻訳である。

 なお,大百科以外で,よく使われるものに,《ソビエト小百科事典Malaya Sovetskaya Entsiklopediya》(第3版。10巻,1958-61,別巻索引1冊),《ソビエト百科辞典Sovetskii Entsiklopedicheskii Slovar'》(1巻,1980)があったが,ペレストロイカ末期に,その動向を反映した《大百科辞典Bol'shoi Entsiklopedicheskii Slovar'》(初版1991,2巻,約8万5000項目。第2版1997,1巻)が刊行された。

 ソ連解体後,この出版所は〈ロシア大百科事典Bol'shaya Rossiiskaya Entsiklopediya〉と社名を改め,1995年にはオール・カラー図版の《図入り百科事典Illyustrirovannyi Entsiklopedicheskii Slovar'》(1巻,約1万8000項目)を〈経済新聞社〉と提携して刊行した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ソビエト大百科事典」の意味・わかりやすい解説

ソビエト大百科事典
そびえとだいひゃっかじてん
Большая Советская Энциклопедия/Bol'shaya Sovetskaya Entsiklopediya

ソ連を代表する百科事典。

[彌吉光長・宮本立江]

第一版

ソビエト政府は革命の成功後、国内はもとより国際的にも、ソ連の政治、経済、文化などを正しく理解させるために百科事典の出版を決定。コム・アカデミー自然科学部長オットー・ユリエビチ・シュミットが編集長となった。1926年に発行を開始、建設と戦争との激動期を乗り切って、47年に65巻・別巻1を完成。項目数は6万5000余であった。

[彌吉光長・宮本立江]

第二版

スターリン時代の末期のいわゆる「血の粛清」によって、トロツキー、ブハーリン、ラデックら多くの反対派の政治家が殺され、政治状勢がまったく変わった。そのため、新しく計画し直し、バビロフSergei Ivanovich Vavilov(1891―1951。のちにはB・A・ブベデンスキー)が編集長となり、1950~58年に50巻・索引(2巻)を完成した。これは大項目中心で、多くの小項目を加え、総項目は約10万であった。

[彌吉光長・宮本立江]

第三版

国際政治・経済状勢と科学技術の進歩を取り入れた第三版をA・M・プロホロフ編集長のもとに発行、1971~78年の間に30巻、項目数10万を刊行した。また、81年に索引を追加発行した。さらに、アメリカ(ニューヨーク)ではマクミラン社がこれを英訳し、『Great Soviet Encyclopedia』31巻(1973~79、索引は1983)として発行した。

 ソ連崩壊後はロシア連邦で『ロシア大百科事典』Большая Российская Энциклопедия/Bol'syaya Rossiyskaya Entsiklopediya12巻が刊行された(1998~2003)。

[彌吉光長・宮本立江]

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百科事典マイペディア 「ソビエト大百科事典」の意味・わかりやすい解説

ソビエト大百科事典【ソビエトだいひゃっかじてん】

ソ連時代ロシアの代表的百科事典。略称BSE。1926年―1947年全65巻を刊行。完結と同時に第2版の編集が始まり1950年―1960年に索引とも全53巻が完成。第2版の編集長は7巻までがS.I.バビロフ,以後はB.A.ブベデンスキー。第3版(全30巻,別巻人名索引1冊)を1969年―1981年刊行。編集長A.M.プローホロフ。その版元〈ソビエト百科事典出版所〉を継承した〈ロシア大百科事典〉社は,2004年から《ロシア大百科事典》(略称BRE。全30巻,別巻1冊)を刊行。
→関連項目百科事典

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ソビエト大百科事典」の意味・わかりやすい解説

ソビエト大百科事典
ソビエトだいひゃっかじてん
Bol'shaya Sovetskaya Entsiklopediya

旧ソ連が国家的事業として刊行した百科事典。発行所はモスクワの国立ソビエト大百科事典出版所。第1版は 1925年から出版されはじめ,第2次世界大戦後の 47年に完結した。全 65巻。第2版は全 53巻で 49~60年に刊行され,第3版は 70年から刊行された。マルクス=レーニン主義に立脚して編集・記述されており,スターリン時代,フルシチョフ時代などの政治情勢も内容に大きく影響している。

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