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タラバニ Talabani, Jalal

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

タラバニ
Talabani, Jalal

[生]1933. ケルカン
イラクのクルド人政治家。大統領(2005~ )。14歳でクルディスターン民主党 KDPに入党,18歳で KDP中央委員に選出。1956年にクルディスターン学生同盟を結成し,のちに書記長に就任。1959年バクダード大学法学部を卒業後イラク軍に入隊。1961年にクルド人がアブドル・カリム・カシム政権に対して反乱を起こすと抵抗運動に加わる。1975年にクルド人活動家や知識人の一派とともに KDPを離党し,新たにクルディスターン愛国同盟 PUKを結成。1970年代後半から 1980年代初頭にかけて,イラクの指導者サダム・フセイン率いるバース党体制に対するクルド人の抵抗運動の組織化に尽力した。だが 1987~88年,フセインによるクルド人掃討軍事作戦(アンファル作戦)により,イラクからの逃亡を余儀なくされた。1991年,湾岸戦争停戦後にイラクに戻り,フセインに対するクルド人の反乱を指揮したが,支援のためのアメリカ軍介入を拒んだため反乱は失敗に終わった。その後,アメリカ合衆国,イギリス,トルコおよびフランスに働きかけて,イラク最北部と北西部のクルディスターン地方に「クルド人のための安全地帯(セーフヘイブン)」を設置した。2003年のイラク戦争でフセイン政権が崩壊すると,暫定憲法制定のためのイラク統治評議会のメンバーとなった。2005年に国民議会でイラクの暫定大統領に選出,2006年には大統領(任期 4年)となる。2010年大統領に再選された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

タラバニ
たらばに
Jalal Talabani
(1933― )

イラクの政治家。より現地音に近い表記はジャラール・タラバーニ。2005年4月、イラクの移行政府大統領となり、2006年4月には本格政府大統領に就任した。2003年のイラク戦争後、イラクでは、連合国暫定当局(CPA:Coalition Provisional Authority)による占領統治とCPAから主権委譲された暫定政府による統治を経て、2005年1月に国民議会選挙が行われた。移行政府大統領は、このときの国民議会により選出されたもので、本格政府大統領は、2005年12月に行われた総選挙で発足した国民議会によって選出されたものである。
 イラク北部のクルディスターン地域出身のクルド人で、18歳でクルド民族闘争を率いるクルディスターン民主党(KDP)中央委員会メンバーに選出されるなど、若くから民族運動の左派活動家として頭角を現した。バグダード大学で法律を学ぶかたわら、ジャーナリストとしてのキャリアも積み、当時の中央政権との関係が悪化すると反政府ゲリラとしてイラク軍と戦った。1960年代にKDPのムスタファ・バルザーニーの一派と袂(たもと)を分かち、1975年、シリアでクルドの左派組織を統合してクルディスターン愛国同盟(PUK)を設立。以後、ムスタファ・バルザーニーの後を継いだマスウド・バルザーニーのKDPとタラバニのPUKはイラクにおけるクルド勢力の双璧(そうへき)としてフセイン政権に対峙(たいじ)してきた。
 1991年の湾岸戦争後、クルド勢力は米英仏の軍事的な支援を背景にイラク中央政権の関与を排して北部で自治を始め、1992年5月に行われた議会選挙ではPUKとKDPが議席を二分した。だが、同時に行われた自治区大統領選はタラバニとバルザーニーの決選投票が実施されず、両者は自治政府内に法的地位をもたないまま政府や議会をしのぐ強い影響力を維持した。1990年代半ばにはPUKとKDPが武力衝突を起こし、自治は危機に陥ったが、1998年、アメリカの仲介によって和平合意し、イラク戦争では、北部戦線でアメリカ軍と行動をともにした。戦後は、新憲法によって、強い権限を持つクルディスターン地域(連邦区)の法的地位を確立し、地域大統領にはバルザーニーが就任した。
 タラバニはイラク大統領として、外交や、派閥抗争に明け暮れるイラク諸勢力間の調整役として大きな役割を果たしてきたが、PUKは、内部の派閥抗争や汚職問題が噴出し、多くの離脱者を出した。タラバニがバグダードでの政務に専念し、PUK議長としての求心力が弱まったことも一因といわれた。2012年12月に脳卒中で倒れ、2013年3月の時点ではドイツで治療を受けている。
 宿命のライバルといわれるバルザーニーが伝統的な価値観を重んじるのに対し、タラバニは都会の論客といわれる。おしどり夫婦として知られ、ヘロー夫人Hero Ibrahim Ahmedは、教育関係のNGOや子ども向け雑誌の発行、独立テレビの運営などメディアで活躍し、タラバニが国政に専念するようになってからは、PUKの有力メンバーとして域内の政治活動にも従事するようになっている。[勝又郁子]
『勝又郁子著『クルド・国なき民族のいま』(2001・新評論) ▽勝又郁子著『イラク わが祖国に帰る日――反体制派の証言』(2003・日本放送出版協会)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

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