ダキア(英語表記)Dacia

精選版 日本国語大辞典 「ダキア」の意味・読み・例文・類語

ダキア

(Dacia) ドナウ川下流湾曲部の北岸に対するローマ人の呼称。紀元前六〇年頃、ブレビスタスが諸族を統一。二世紀初頭、ローマのトラヤヌス帝との二度戦争に敗れてローマの属州となった。ほぼ現在のルーマニアにあたる。

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デジタル大辞泉 「ダキア」の意味・読み・例文・類語

ダキア(Dacia)

ドナウ川下流の湾曲部北岸の地域古称古代ローマ帝国の属州の一。ほぼ現在のルーマニアにあたる。

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改訂新版 世界大百科事典 「ダキア」の意味・わかりやすい解説

ダキア
Dacia

ドナウ川以北,カルパチ山脈を含む地域の古代の名。現在のルーマニアにあたる。金銀の豊かな地方で,前3世紀ころからギリシア世界と交渉があった。ゲタエ族,ダキア族が諸部族に分かれて住み,農耕を営んでいたが,トラキアがローマの支配下にはいると,前60年ころ首長ブレビスタBurebistaが諸部族を統合する国家をつくった。ローマ軍の侵略に,王デケバルスDecebalusは頑強な抵抗ののち敗れ,106年ダキアはローマの属州となった。トラヤヌス帝はローマ市に戦勝記念柱を建て,戦争の状況を浮彫にきざんだ。ローマは北東国境の防衛拠点ダキアに4万の軍隊を配備し,都市をつくってローマ人植民を送りこみ,ラテン語を流通させるなどローマ化をはかり,ローマ人とダキア人との同化も進んだ。3世紀後半には,外民族の侵入や国境線縮小のためローマはドナウ川以南に撤退し,属州は消滅した。ローマ化した住民は,その後もラテン的な特徴を保持しつづけた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダキア」の意味・わかりやすい解説

ダキア
だきあ
Dacia

古代ローマの属州。ヨーロッパ南東部、ドナウ川下流湾曲部の北岸の地域。おおよそ現在のルーマニアにあたる。ダキア人は農耕民族で、紀元前4世紀にケルト文化を吸収し、カルパティア山脈の金・銀・鉄の鉱山を開発、前300年ごろからギリシア人と、前2世紀からはイリリクムのギリシア人諸都市やイタリア商人とも交易した。主要な輸入品はワインであった。分裂していたダキアの諸部族は前60年ごろブレビスタスBurebistasにより統一され、彼のもとでケルト人やイリリア人を征服してローマの属州マケドニアを脅かすまでになったが、彼の死後内部抗争により力は衰えた。紀元後1世紀末にデケバルスDecebalusのもとで軍事力は再興。ローマによるダキア征服はトラヤヌス帝の二度にわたるダキア戦争(101~102、105~106)により行われた。この戦争の模様はローマにあるトラヤヌスの記念柱に彫られている。イリリクムや東部諸属州からの人口流入で都市が発展したが、3世紀中ごろのゴート人の侵入の結果、アウレリアヌス帝は270年ごろダキアを放棄。4世紀にはダキアという名称はドナウ川下流南岸沿いのローマの属州名として使われた。

[市川雅俊]

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百科事典マイペディア 「ダキア」の意味・わかりやすい解説

ダキア

ドナウ川下流北岸,ほぼ現在のルーマニアを包含する古代の地方名。金,銀,鉄など鉱産に恵まれた地として知られた。106年トラヤヌス帝に征服され,ローマの属州となったが,3世紀後半放棄された。
→関連項目クルジュトランシルバニアワラキア

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダキア」の意味・わかりやすい解説

ダキア
Dacia

ドナウ川北部のカルパチア山地,トランシルバニア平原を中心とする,現ルーマニアに属する地方の古代ローマ時代の呼称。住民は農耕を主とし,スキタイ系の文化を有したが,前4世紀にはケルト文化の影響を受け,金銀を採掘し,ぶどう酒を産してギリシア諸都市と通交した。前 60年頃ダキア王ブレビスタスが諸部族を統合してケルト,イリュリア地方に侵入,ローマにとって脅威となったが,ローマのトラヤヌス帝が2度にわたって遠征 (101~102,105~106) ,ローマ領とした。ハドリアヌス帝のとき上下ダキアの2属州に分割され,のち3つに分けられ,サルミゼゲツサ,アプルムなどの都市が栄えた。ゴート人の侵入によりアウレリアヌス帝のとき (270) ,ローマから離れた。以後ダキアの語はドナウ川南方の属州の総称となった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ダキア」の解説

ダキア
Dacia

ドナウ川下流北岸の一地方。前4世紀ケルト人の侵入により鉱山が開発され,ギリシア人と交易した。2世紀初頭のトラヤヌス帝の遠征によってローマの属州となり,3世紀後半放棄された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ダキア」の解説

ダキア
Dacia

ドナウ川下流域,ルーマニア地方の古称
トラキア系のダキア人が居住。106年,トラヤヌス帝の遠征によってローマの属州(プロヴィンキア)となった。

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世界大百科事典(旧版)内のダキアの言及

【ビホル】より

…歴史的にはこのビホル県と現ハンガリー領のハイドゥー・ビハルHajdú‐Bihar県にまたがる地方をいう。古代にトランシルバニアにダキア王国が成立した時代,ここにもダキア人が居住し,ローマのダキア征服後もこの地方はローマの属州とはならず,自由ダキア人が住んでいた。4~9世紀の民族移動期ののち,10世紀にはビホル城を根拠として原住民(ブラフ人とスラブ人)の同盟の長であるメヌモルトMenumorutがこの一帯を支配していたことが年代記に記されている。…

【モルドバ】より

…またトランシルバニアやワラキアのルーマニア人との交流が絶えなかったこともモルドバの歴史に重要な意味をもっている。
[諸民族の流入]
 古代にはこの地域にスキタイやトラキア人が居住していたが,前1世紀トラキア人の一支族ダキア人の王国が形成されると,その領土となった。106年ダキアはローマ帝国に滅ぼされ属州ダキアとなった。…

【ワラキア】より

… ワラキアという名称はおもに外国人によって用いられたもので,現在のルーマニア人はこれをオルト川を境にムンテニアMuntenia地方とオルテニアOltenia地方に分けて呼んでいるが,歴史上はツァーラ・ロムネヤスカTara Româneascǎ(〈ローマ人の国〉の意)と呼ばれてきた。中世このあたりに住んでいたスラブ人が,ダキア・ローマ人の子孫でロマンス語系の言葉を話す人びとをブラフ人Vlah,Valahと呼んだところからブラフ人の国,つまりワラキアという言葉が生まれ,それがビザンティン帝国や西欧へひろまったのである。ブラフ人という言葉はその時代により,(1)原ルーマニア人を指す場合,(2)一般にルーマニア人を指す場合,(3)ワラキア公国の住民を指す場合とに大別される。…

※「ダキア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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