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ダキア ダキア Dacia

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ダキア
ダキア
Dacia

ドナウ川北部のカルパチア山地,トランシルバニア平原を中心とする,現ルーマニアに属する地方の古代ローマ時代の呼称。住民は農耕を主とし,スキタイ系の文化を有したが,前4世紀にはケルト文化の影響を受け,金銀を採掘し,ぶどう酒を産してギリシア諸都市と通交した。

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デジタル大辞泉の解説

ダキア(Dacia)

ドナウ川下流の湾曲部北岸の地域の古称。古代ローマ帝国の属州の一。ほぼ現在のルーマニアにあたる。

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百科事典マイペディアの解説

ダキア

ドナウ川下流北岸,ほぼ現在のルーマニアを包含する古代の地方名。金,銀,鉄など鉱産に恵まれた地として知られた。106年トラヤヌス帝に征服され,ローマの属州となったが,3世紀後半放棄された。
→関連項目クルジュトランシルバニアワラキア

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世界大百科事典 第2版の解説

ダキア【Dacia】

ドナウ川以北,カルパチ山脈を含む地域の古代の名。現在のルーマニアにあたる。金銀の豊かな地方で,前3世紀ころからギリシア世界と交渉があった。ゲタエ族,ダキア族が諸部族に分かれて住み,農耕を営んでいたが,トラキアがローマの支配下にはいると,前60年ころ首長ブレビスタBurebistaが諸部族を統合する国家をつくった。ローマ軍の侵略に,王デケバルスDecebalusは頑強な抵抗ののち敗れ,106年ダキアはローマの属州となった。

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大辞林 第三版の解説

ダキア【Dacia】

ドナウ川下流北岸地方の古称。古代ローマ帝国の属州の一つで、バルカン半島におけるラテン系民族の居住地。ほぼルーマニアに当たる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ダキア
だきあ
Dacia

古代ローマの属州。ヨーロッパ南東部、ドナウ川下流湾曲部の北岸の地域。おおよそ現在のルーマニアにあたる。ダキア人農耕民族で、紀元前4世紀にケルト文化を吸収し、カルパティア山脈の金・銀・鉄の鉱山を開発、前300年ごろからギリシア人と、前2世紀からはイリリクムのギリシア人諸都市やイタリア商人とも交易した。主要な輸入品はワインであった。分裂していたダキアの諸部族は前60年ごろブレビスタスBurebistasにより統一され、彼のもとでケルト人イリリア人を征服してローマの属州マケドニアを脅かすまでになったが、彼の死後内部抗争により力は衰えた。紀元後1世紀末にデケバルスDecebalusのもとで軍事力は再興。ローマによるダキア征服はトラヤヌス帝の二度にわたるダキア戦争101102、105~106)により行われた。この戦争の模様はローマにあるトラヤヌスの記念柱に彫られている。イリリクムや東部諸属州からの人口流入で都市が発展したが、3世紀中ごろのゴート人の侵入の結果、アウレリアヌス帝は270年ごろダキアを放棄。4世紀にはダキアという名称はドナウ川下流南岸沿いのローマの属州名として使われた。[市川雅俊]

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世界大百科事典内のダキアの言及

【ビホル】より

…歴史的にはこのビホル県と現ハンガリー領のハイドゥー・ビハルHajdú‐Bihar県にまたがる地方をいう。古代にトランシルバニアにダキア王国が成立した時代,ここにもダキア人が居住し,ローマのダキア征服後もこの地方はローマの属州とはならず,自由ダキア人が住んでいた。4~9世紀の民族移動期ののち,10世紀にはビホル城を根拠として原住民(ブラフ人とスラブ人)の同盟の長であるメヌモルトMenumorutがこの一帯を支配していたことが年代記に記されている。…

【モルドバ】より

…またトランシルバニアやワラキアのルーマニア人との交流が絶えなかったこともモルドバの歴史に重要な意味をもっている。
[諸民族の流入]
 古代にはこの地域にスキタイやトラキア人が居住していたが,前1世紀トラキア人の一支族ダキア人の王国が形成されると,その領土となった。106年ダキアはローマ帝国に滅ぼされ属州ダキアとなった。…

【ワラキア】より

… ワラキアという名称はおもに外国人によって用いられたもので,現在のルーマニア人はこれをオルト川を境にムンテニアMuntenia地方とオルテニアOltenia地方に分けて呼んでいるが,歴史上はツァーラ・ロムネヤスカTara Româneascǎ(〈ローマ人の国〉の意)と呼ばれてきた。中世このあたりに住んでいたスラブ人が,ダキア・ローマ人の子孫でロマンス語系の言葉を話す人びとをブラフ人Vlah,Valahと呼んだところからブラフ人の国,つまりワラキアという言葉が生まれ,それがビザンティン帝国や西欧へひろまったのである。ブラフ人という言葉はその時代により,(1)原ルーマニア人を指す場合,(2)一般にルーマニア人を指す場合,(3)ワラキア公国の住民を指す場合とに大別される。…

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