ダーガー(読み)だーがー(英語表記)Henry J. Darger

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダーガー」の意味・わかりやすい解説

ダーガー
だーがー
Henry J. Darger
(1892―1973)

アメリカの画家シカゴ生まれ。4歳のときに妹の出産に伴う敗血症で母を失い、身体障害者の父に育てられる。その後、父の健康状態と経済状態の悪化に伴い、8歳のときにカトリック系の少年施設に預けられ、さらに12歳のときには、一種の感情障害を示したことを理由にイリノイ州リンカーンの精神遅滞児の施設に移される。在院中は「クレイジー」と呼ばれ、ひどく劣悪な環境での生活を強いられた。何度も施設からの脱走を試み、1909年、17歳のときについに成功、250キロメートル離れた出生地のシカゴへと舞い戻り、サン・ジョゼフ病院で皿洗い兼清掃の職を得る。その後は単純労働の仕事を転々としながら細々と生計を立てる生活を50年以上にわたって続ける。敬虔なカトリック信者であったが、孤児である上にこれといった友人もいない孤独な境遇であった。また施設に収容されていた一時期を除いて、生涯シカゴを離れることがなかったという。

 名もなき単純労働者であったダーガーの死後、長年住んでいた貸間家主であったネイサン・ラーナーNathan Lerner(1913―97)はごみに埋もれたその居室のなかで、「私の人生誌」と題された1万ページにも及ぶ自伝と1万5000ページ以上の長大な物語のタイプ原稿、およびそれに添えられた300枚以上のイラストを発見したのである。「非現実の王国」と題されたその物語は壮大な戦争の叙事詩であり、またイラストはその叙事詩のなかで活躍する7人の両性具有の「ビビアン・ガールズ」たちを、コラージュ技法を駆使して水彩や色鉛筆で描いたものであった。横長の画面には、可愛らしい少女たちと色彩豊かで暴力的な世界が展開されていた。家主のラーナーがシカゴ・バウハウスの教授を務める著名な写真家であった偶然が、ダーガーの長年にわたる孤独な妄想を芸術として認めさせるきっかけをもたらした。

 ラーナーによる発見を機に、ダーガーの作品は一躍アート・シーンに知れわたり、その後短期間のうちに多くの作品集が出版され、展覧会が開催された。日本でも「パラレル・ヴィジョン」展(1993、世田谷美術館、東京)で作品が紹介され、また2002(平成14)~2003年にはワタリウム美術館(東京)で、2007年には原美術館(東京)で個展が開催された。精神病者(多重人格障害や自閉症など諸説あるが正確な病名は不明)であったこと、正規の美術教育を一切受けていないことなどから、その作品はアウトサイダー・アートの典型として評価された。

[暮沢剛巳]

『ザ・ギンザアートスペース編『アウトサイダー・アート』(2000・求龍堂)』『斎藤環著『戦闘美少女の精神分析』(2000・太田出版)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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