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チェチェン Chechen

翻訳|Chechen

デジタル大辞泉の解説

チェチェン(Chechen)

ロシア連邦にある22の共和国の一。首都はグロズヌイカフカス山脈北麓に位置する。イスラム教スンニー派で「ノフチ(ノアの民)」を自称するチェチェン人基幹民族ソ連崩壊直前の1991年11月に独立を宣言。ロシア中央政府と2回交戦したが制圧された。→カフカスの火薬庫

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百科事典マイペディアの解説

チェチェン

ロシア連邦南部,北カフカス地方の共和国。地域名としてはチェチニャChechnya(チェチェン人はイチケリアIchkeriaと呼ぶ)。西隣のイングーシと合わせて面積1万5000km2,人口126万8000人(2010)のうち,約58%がチェチェン人,13%がイングーシ人で,ともにスンナ派イスラム教徒が多い。主都グロズヌイ。この地域は1859年ロシア帝国に併合され,ロシア革命後の1921年北カフカス山岳部に成立した〈山岳自治共和国〉に含まれたが,1922年に分断政策でチェチェン自治州とされ,1934年イングーシ自治州と合同,1936年チェチェン・イングーシ自治共和国となった。第2次世界大戦中にドイツ軍占領下に入ったが,1944年対独協力の口実の下にスターリンにより両民族とも中央アジアなどに強制移住させられ,1957年名誉回復後に共和国が復活。1991年に共和国大統領となったドゥダーエフの下で独立を宣言,1992年にイングーシ共和国は分離独立。1993年以後,ドゥダーエフ派とその反対派が対立して内戦となるが,チェチェンの分離独立阻止のため,1994年末にロシアのエリツィン政権が大規模に軍事介入し,翌年主都が陥落。ドゥダーエフの戦死後の1996年,ロシアは後継のヤンダルビエフ大統領代行らと停戦を交渉,独立については5年間凍結することで8月に合意,ロシア軍は1997年1月撤兵した。同年に穏健派のマスハドフが大統領に選ばれたが,ロシアはイスラム武装勢力の排除を名目として1999年秋からチェチェン全域に及ぶ攻撃を開始した。2000年ロシア大統領に就任したプーチンは強圧路線を強めた。カディロフが親ロシア派として行政府代表に任命されるが,2002年のモスクワの劇場占拠事件などをはじめ,チェチェン独立派の抗議行動が続いており,2004年5月にはカディロフ大統領(前年10月当選)が爆殺された。同年9月,イングーシに隣接する北オセチア共和国のベスランでチェチェン独立派によるとされる学校占拠事件があり,2005年3月マスハドフはロシア軍との戦闘で死亡した。2007年ロシアの強力な後押しでカディロフ前大統領の息子のラムザン・カディロフが大統領に就任,経済発展・産業振興を推進したが,他方強権的・独裁的な手法で反対派への弾圧を続け,旧ソ連時代よりも市民的権利は後退しているといわれる。ロシアは,チェチェンがカスピ海のバクー油田地帯から黒海沿岸部に繋がる石油パイプラインの要衝に位置することや,多民族ロシア連邦の一角が崩れることの影響を恐れ,一貫してチェチェンの独立を拒否している。しかしロシアがチェチェンの経済再建に投じた費用はすでに莫大なものとなっており,ロシア経済に大きな負担を及ぼしている。チェチェン独立派は,以前から中東,アフリカなどで勢力を伸ばしているイスラム武装勢力,イスラム過激派組織の有力な人員補給源であり,2013年4月にアメリカのボストンで発生した爆弾テロ事件の犯人の若者がチェチェンからの移民出身であったことからホームグロウンテロへの警戒もあって,国際的な問題となっている。2014年2月の冬季オリンピック・ソチ大会に際して,イスラム武装勢力は開催阻止を呼びかけ,ロシアは厳戒態勢を敷いた。ソチ大会は無事何事もなく日程を終え,政権幹部は〈大会運営は成功した〉と強調した。
→関連項目カラチャイ・チェルケスコサックダゲスタンロシア

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大辞林 第三版の解説

チェチェン【Chechen】

ロシア連邦に属する共和国。西アジア、カフカス山脈の北麓に位置する内陸国。1992年チェチェン-イングーシ共和国から分離。住民はイスラム教徒が多い。首都グロズヌイ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

チェチェン
ちぇちぇん
Чечен Chechen

ロシア連邦を構成する21共和国のうち、唯一ロシアからの独立を主張している共和国。正称チェチェン共和国Чеченская Республика/Chechenskaya Respublika。チェチニアともいう。ロシア南西部に位置する。1992年に分離したイングーシェチアとの間の境界線は未画定。人口79万7000(1998)。首都はグローズヌイ。チェチェンに居住する主要民族はチェチェン人で、宗教はイスラム教スンニー派。[上野俊彦]

国土

国土は大カフカス山脈北側斜面の山地、丘陵、チェチェン平野からなる。大カフカス山脈の分水嶺(ぶんすいれい)上を通る国境を挟んでその南側はジョージア(グルジア)である。気候は大陸性気候で、平均気温は1月零下12℃~零下3℃、7月21℃~25℃。年降水量は300~1000ミリメートル。高度が上がるにつれ、ステップ平原(短草草原)から広葉樹林帯、さらに牧草地に変わる。[上野俊彦]

経済・産業

おもな工業は、石油の採掘・精製、石油化学、機械(石油採掘・精製設備、医療器具など)、食品加工、木材加工、軽工業、建築資材生産(セメントなど)。農業は、果樹、ブドウ、野菜、穀物(小麦、イネ)、ヒマワリ、サトウダイコン(テンサイ)の栽培、ヒツジ、ウシ、ブタの牧畜が盛ん。木彫、石細工、金属工芸、刺しゅう、絨毯(じゅうたん)製造などの伝統産業もある。[上野俊彦]

チェチェンとイングーシェチア

チェチェン人と西隣のイングーシェチアに居住するイングーシ人とは言語・文化的に共通性が多く、チェチェンとイングーシェチアは合併と分離を繰り返してきた。チェチェンは1859年イングーシェチアと併合してチェチェノ・イングーシェチアとなり、1921年1月ロシア連邦社会主義共和国に属する山岳自治ソビエト社会主義共和国に加わった。そして1922年11月にはイングーシェチアと分離してチェチェン自治州となったが、1934年ふたたびイングーシェチアと合併してチェチェノ・イングーシ自治州となり、1936年自治共和国に昇格した。第二次世界大戦中の1942~1943年ドイツ軍に占領され、ドイツ軍に協力したとされて1944年自治共和国は廃止され、住民は中央アジアに強制移住させられた。第二次世界大戦が終わって12年後の1957年チェチェノ・イングーシ自治ソビエト社会主義共和国Чечено-Ингушская АССР/Checheno-Ingushskaya ASSRとして復活し、以来ロシア連邦内の自治国家としての地位を保ってきた。ソ連崩壊(1991年12月)に先だつ1990年11月共和国最高会議が国家主権宣言を採択、1991年チェチェノ・イングーシェチア(チェチェノ・イングーシ)共和国となった。同年9月チェチェン国民全国大会がチェチェン共和国の国家主権を宣言、10月27日共和国大統領選挙が実施されチェチェン人のジョハル・ドゥダエフDzakhar Dudaev(1944―1996)が選出されたが、イングーシ人は選挙をボイコット、ロシア連邦最高会議もこの選挙を違法とした。イングーシ人はチェチェンとの分離を要求、当初これに反対していたドゥダエフ政権も12月末には分離を承認、1992年ロシア連邦人民代議員大会がチェチェン共和国とイングーシェチア共和国との分離を決定した。[上野俊彦]

チェチェン紛争

ドゥダエフ政権は1992年3月のロシア連邦の連邦条約に調印せず、ロシアからの分離独立を目ざした。しかし、1993~1994年にはチェチェン国内の反ドゥダエフ派が武装蜂起(ほうき)、チェチェンは深刻な社会的・政治的危機に陥った。1994年12月チェチェンにおける秩序回復を掲げてロシア連邦軍が軍事介入し、ドゥダエフ派による武力抵抗も全面的軍事行動に拡大した。これがいわゆるチェチェン紛争である。1995年以降、軍事行動の終結と、政治的手段と交渉による係争問題解決への努力がなされ、1996年8月和平合意が成立し、1997年1月にはロシア軍は全面撤退、同月大統領選挙が行われマスハドフが当選した。しかし、独立を認めないロシアとの緊張関係は続き、ロシアのエリツィン政権は1999年9月末ふたたび大規模な軍隊をチェチェンに展開した。2000年6月ロシアのプーチン政権はチェチェンに共和国臨時行政府を設置し、イスラム教指導者のカディロフAkhmad Kadyrov(1951―2004)を行政長官に任命、ロシア連邦大統領による直轄統治を導入した。2002年1月、ロシアとの戦争状態のうちにマスハドフの任期満了。2003年3月、チェチェン共和国がロシアの一部であると明記した憲法が住民投票により採択、同年10月大統領選挙が行われ、親ロシア派のカディロフが当選した。2004年5月、爆破テロにより、カディロフは死亡、首相のアブラモフが大統領代行に就任したが、同年8月には繰り上げ大統領選挙が行われ、10月アルハノフが大統領に就任した。2005年11月には1999年のロシア侵攻以来とだえていた共和国議会選挙が行われ、与党の統一ロシアが第1党となった。2007年2月アルハノフは任期を残し辞任、同年3月にカディロフの次男のラムザン・カディロフRamzan Kadyrov(1976― )が議会から新大統領として承認され、4月に就任。親ロシア派の政権が続いている。しかし、その間もチェチェン独立派武装勢力によるとみられる大規模なテロ事件が発生。同8月には民間航空機連続爆破テロ事件、モスクワ市の地下鉄リガ駅周辺における自爆テロ事件があった。また9月1~3日には、ロシア連邦北オセチア共和国のべスランで武装グループが学校を占拠、人質をとりロシアにチェチェンからの撤退を要求した。ロシア治安部隊に制圧されたが、1000人以上の人質のうち300人以上が犠牲(うち半数以上が子供)となった。2005年3月にはチェチェン北部でロシア連邦軍などとの戦闘により元大統領のマスハドフが死亡、その後も2006年に独立派指導者のサドゥラエフとバサエフShamil Basayev(1965―2006)がロシア治安部隊により殺害されているが、新指導者の台頭もあり今後の独立派武装勢力の動きが懸念されている。[上野俊彦]
『林克明著『カフカスの小さな国――チェチェン独立運動始末』(1997・小学館) ▽山内昌之著『文明の衝突から対話へ』(岩波現代文庫)』

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