デジタル大辞泉
「チェルネンコ」の意味・読み・例文・類語
チェルネンコ(Konstantin Ustinovich Chernenko)
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チェルネンコ
- ( Konstantin Ustinovič Čjernjenko コンスタンチン=ウスチノビチ━ ) ソ連の政治家。ブレジネフの側近。アンドロポフの後に党書記長、ソ連最高会議議長として最高指導者であった。(一九一一‐八五)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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チェルネンコ
ちぇるねんこ
Константин Устинович Черненко/Konstantin Ustinovich Chernenko
(1911―1985)
ソ連の政治家。9月24日にシベリアのクラスノヤルスクの農家に生まれる。1929年から青年共産同盟の活動に参加し、1931年に入党。郷里の党委員会書記を経て、1948年からソ連内のモルダビア社会主義共和国(現モルドバ共和国)の党中央委員会に勤務。働きながら1953年にキシニョフ教育大学を卒業。1950年に党第一書記として赴任したブレジネフの知己を得る。1964年10月にブレジネフがソ連党中央委第一書記に選出されたあと、1965年7月に党中央委総務部長、1976年3月に同書記、1978年11月に同政治局員に抜擢(ばってき)され、ブレジネフ死後はアンドロポフの後を受けて1984年2月に同書記長、同年4月にソ連最高会議幹部会議長となる。1985年3月10日死去。ブレジネフからゴルバチョフへの過渡期の最高指導者であった。
[中西 治]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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チェルネンコ
Chernenko, Konstantin Ustinovich
[生]1911.9.24. クラスノヤルスク,ボリシャヤテシ
[没]1985.3.10. モスクワ
ソ連の政治家。 1931年共産党に入党。 41年クラスノヤルスク地方党委員会書記,43年ペンザ州党委員会書記を経て,48年モルダビア共和国党委員会宣伝部長。 56年ブレジネフの要請で党中央委員会に勤務,65~82年党中央委員会総務部長としてブレジネフを補佐。 71年同委員会委員,76年同書記,77年政治局員候補,78年同局員。 82年アンドロポフ政権以後,総務部長の地位を降りたが,84年2月アンドロポフの死去で書記長に就任。しかし在任期間わずか1年で死去。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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チェルネンコ
Konstantin Ustinovich Chernenko
1911〜85
旧ソ連共産党書記長(在任1984〜85)
アンドロポフ(在任1982〜84)の急死後,書記長に就任。保守派の支持を集め,アンドロポフの着手した改革も一時挫折したが,就任後13か月で病死した。その後任がゴルバチョフ。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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