日本大百科全書(ニッポニカ) 「アンドロポフ」の意味・わかりやすい解説
アンドロポフ
あんどろぽふ
Юрий Владимирович Андропов/Yuriy Vladimirovich Andropov
(1914―1984)
ソ連の政治家。南ロシアのスタブロポリの鉄道員の家庭に生まれる。1936年水運技術専門学校を卒業。以後コムソモール(共産主義青年同盟)で活躍し、1939年共産党入党、1940年にはカレリアのコムソモール第一書記。独ソ戦が始まるとカレリアでパルチザン活動に入り、1944年にその首都ペトロザボーツクが解放されたのちは同市での党活動に移る。1947年にはカレリア党の第二書記、1951年には党中央に移り、その後1953~1957年にはハンガリーに駐在。1956年のハンガリー動乱時には大使を務めていた。1957年から党中央委員会の社会主義諸国共産党・労働者党連絡部長となり、中ソ論争に深いかかわりをもつ。第22回党大会(1961)以降党中央委員、また1962年から書記局員(~1967)。1967年から国家保安委員会(KGB)議長で政治局員候補、1973年政治局員。1982年5月には書記局員も兼ねたためKGB議長は辞任。1982年11月、ブレジネフ書記長死去の後を受けて書記長に就任、1983年6月にはソ連最高会議幹部会議長を兼任したが、翌1984年2月9日死去した。
[藤本和貴夫]
『ジョレス・メドベージェフ著、毎日新聞社外信部訳『アンドロポフ』(1983・毎日新聞社)』