チェルネンコ(英語表記)Chernenko, Konstantin Ustinovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

チェルネンコ
Chernenko, Konstantin Ustinovich

[生]1911.9.24. クラスノヤルスク,ボリシャヤテシ
[没]1985.3.10. モスクワ
ソ連の政治家。 1931年共産党に入党。 41年クラスノヤルスク地方党委員会書記,43年ペンザ州党委員会書記を経て,48年モルダビア共和国党委員会宣伝部長。 56年ブレジネフの要請で党中央委員会に勤務,65~82年党中央委員会総務部長としてブレジネフを補佐。 71年同委員会委員,76年同書記,77年政治局員候補,78年同局員。 82年アンドロポフ政権以後,総務部長の地位を降りたが,84年2月アンドロポフの死去で書記長に就任。しかし在任期間わずか1年で死去。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

チェルネンコ
ちぇるねんこ
Константин Устинович Черненко Konstantin Ustinovich Chernenko
(1911―1985)

ソ連の政治家。9月24日にシベリアのクラスノヤルスクの農家に生まれる。1929年から青年共産同盟の活動に参加し、1931年に入党。郷里の党委員会書記を経て、1948年からソ連内のモルダビア社会主義共和国(現モルドバ共和国)の党中央委員会に勤務。働きながら1953年にキシニョフ教育大学を卒業。1950年に党第一書記として赴任したブレジネフの知己を得る。1964年10月にブレジネフがソ連党中央委第一書記に選出されたあと、1965年7月に党中央委総務部長、1976年3月に同書記、1978年11月に同政治局員に抜擢(ばってき)され、ブレジネフ死後はアンドロポフの後を受けて1984年2月に同書記長、同年4月にソ連最高会議幹部会議長となる。1985年3月10日死去。ブレジネフからゴルバチョフへの過渡期の最高指導者であった。[中西 治]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

夏至

二十四節気の一つであるが,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) の四季の中央におかれた中気。夏至は太陰太陽暦の5月中 (5月の後半) のことで,太陽の黄経が 90°に達した日 (太陽暦の6月 ...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android