翻訳|Cherokee
アメリカ合衆国の先住民集団(アメリカ・インディアン)で、1990年の人口は約37万人、先住民中最大のグループである。オクラホマ州に9.9万人、ノース・カロライナ州の保留地に1.6万人が集中して住んでいるほか、カリフォルニア州に5.3万人など各地に居住している。その名は「洞穴」を意味するチョクトー語に由来するといわれ、彼らがアパラチア山脈南部の山間部の川沿いに集落をつくっていたことからきている。自称は「アニユンウィヤAni Yun‐Wiya」で「真の人間」を意味する。
18世紀なかばまではおもに女性が農耕を行い、男性は狩猟、漁労、土地の開墾のほか、戦争や儀式に携わっていた。白人の進出に伴い、しばしば戦争に巻き込まれて領土を奪われ、アメリカ独立戦争中(1775~83)には植民地軍の侵攻を4回も受けて国土を荒らされ、多くの人命を失った。そこで1790年代以降、合衆国政府の「文明化」政策を受け入れて、一世代の間に奴隷制をその一部にもつ農業社会の建設に成功した。1827年には共和制の憲法を制定してチェロキー国を設立し、指導者セコイアSequoyahが発明したチェロキー文字と英語を併記した新聞を発行するまでになった。合衆国最高裁判所はチェロキー国を「国家内の従属国家」と認めた。しかし1830年に始まるインディアン強制移住政策に対して、賛成派の混血チェロキーと反対派の純血チェロキーの内部対立が激化し、結局7000人もの合衆国軍の監視下で移住が強制された。1万数千人が3000キロメートルにものぼる悪路をたどってオクラホマに移住したが、途上4000人もの人命が病気と飢餓で失われた。この強行軍は、「涙の旅路the Trail of Tears」とよばれ、アメリカ史上の悲劇の一つに数えられている。
移住後も自治政府は維持され、農業社会が再建されたが、内部対立は深まった。南北戦争では純血チェロキーによる連邦支持派と混血チェロキーによる南部連合支持派の間で骨肉の争いが展開され、19世紀末には政府の個人土地割当政策をめぐって、反対の純血チェロキーと賛成の混血チェロキーの争いが再燃した。両者の溝はまだ埋まっていない。自治政府は1906年に連邦議会の法令で廃止され、1907年オクラホマの州昇格とともにチェロキー国は消滅したが、1948年にチェロキーの自治政府は再建された。一方、強制移住を免れた一部のチェロキーは、1889年にチェロキー・インディアン東部バンドとして、オクラホマの西部バンド(バンドは生活集団)とは別に統合され、ノース・カロライナ州西端の保留地に居住して現在に至っている。
もとの宗教は動物神崇拝で、人間を他の生きとし生けるものとつなげる超自然の力を深く信じていた。しかし19世紀初頭以来、キリスト教とりわけバプティスト派が浸透して、もとの宗教は影をひそめた。
[富田虎男]
『富田虎男著『アメリカ・インディアンの歴史』第3版(1997・雄山閣)』▽『フォレスト・カーター著、和田穹男訳『リトル・トリー』(1991・めるくまーる)』▽『アレックス・W・ビーラー著、片岡しのぶ訳『そして名前だけが残った――チェロキー・インディアン 涙の旅路』(1998・あすなろ書房)』
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