翻訳|Tutsi
ワツチ族Watutsi,ツシ族Tussiなどとも呼ばれる。東アフリカの内陸,ルワンダとブルンジ両国に住む長身の牧畜民で,農耕民フツ族Hutuと狩猟民トワ族Twaを支配してルワンダ王国,ブルンジ王国を形成した。ルワンダ王国は1959年フツ族による革命で消滅し,ブルンジ王国は62年に独立国となったが,66年のミコンベロ首相のクーデタによって共和制に移行した。両国ともツチ族とフツ族の対立が政情不安をもたらしている。ツチ族の人口(1980)はルワンダで約75万,ブルンジで約63万で,フツ族の1/5ほどの少数民族であり,言語もフツ族のバントゥー語を話し,自民族の言語は失っている。
ツチ族は15世紀ころ北方のウガンダから移住してきたナイル語系の民族で,しだいにフツ族を支配し,臣従関係を結んだ。王(ムワミmwami)は神性を帯びた者として宗教的権威をもち,国土の活力の源泉と考えられていた。神話によれば,王は天から下ってきた神の子とされている。別の神話では,最初の人間カジカムントゥは3人の息子トワ,フツ,ツシに試練を与え,それに成功したツシが支配者の地位を得たとある。王の下では土地の首長と牛の首長という2種の首長が地方の農産物と畜産物を管理し,また貴族の子弟から成る戦士集団とその軍事首長が王権を支えていた。王の母は王とは別に宮廷を営み,国民の尊敬を得ていたが,王権に対する制約力は他のアフリカ王国の母后ほどではなかった。
ツチ族にとって牛は経済的価値ばかりでなく,宗教的・文化的価値の中心であり,牛を保有する権利を委譲することによって王と首長,首長とツチ族の貴族,ツチ族と平民であるフツ族の間に臣従関係が結ばれた。フツ族は農作物や労役を提供することで牛を飼うことはできたが,私有は認められなかった。ツチ族は族内婚の規定によってその優位を保ったが,独立前後からフツ族との対立が激化し,しばしば流血の衝突を引き起こしている。
執筆者:長島 信弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…アフリカでは降水に恵まれた所といえるが,住民による森林破壊が進み,土壌浸食がはげしい。【戸谷 洋】
【住民,社会】
住民の85%はバントゥー系のフツ族Hutuが占め,14%をナイル語系のツチ族が占め,ピグミー系のトワ族Twaは1%以下にとどまっている。長身で明るい肌色のツチ族は,15世紀から16世紀にかけて北方より移住してきた牧畜民であるが,農耕民で多数派のフツ族を征服して従属させた。…
…東アフリカの内陸,現在のブルンジ共和国の地にあった王国。ルワンダ王国同様に,15世紀ころ北方から移住してきたナイル語系の牛牧民ツチ族が先住の農耕民のフツ族Hutuとピグミーのトワ族を支配して形成した階層的国家。1890年ドイツ領とされたが,第1次大戦後ルワンダ王国とともにベルギーの国際連盟委任統治領となり,1962年に王国として独立したが,66年にミコンベロ首相によるクーデタで共和制に移行したときに王国としての歴史は終わった。…
…【戸谷 洋】
[住民,社会]
住民の構成は南の隣国のブルンジと類似している。バントゥー系の農耕民フツ族Hutuが人口の84%を占め,ナイロート系の牧畜民ツチ族が15%,狩猟採集民でピグミー系のトワ族Twaが残りの1%を占めている。フツ族もツチ族も,言語的にはバントゥー諸語に属するルワンダ語を話すが,両者は形質的には異なり,ツチ族のほうが長身で肌の色も明るい。…
…東アフリカの内陸,現在のルワンダ共和国の地にあった王国。15世紀ころ,北方から移住してきた長身の牧畜民ツチ族の指導者ブウィンバが,先住の農耕民フツ族Hutuと狩猟民トワ族(ピグミー)を支配して建国したといわれる。神話では,王は天上神イマナの直系とされ,王は神王としての権威を与えられていた。…
※「ツチ族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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