ツワイク(英語表記)Stefan Zweig

デジタル大辞泉 「ツワイク」の意味・読み・例文・類語

ツワイク(Arnold Zweig)

[1887~1968]ドイツのユダヤ系小説家。第一次大戦に従軍した体験から「白人たちの大戦争」(「グリーシャ連作」)を生涯にわたり書き続けた。ナチスの台頭でパレスチナに亡命、のちドイツで活躍。ツバイク

ツワイク(Stefan Zweig)

[1881~1942]オーストリアのユダヤ系作家。人道的平和主義の立場を基調とし、特に伝記小説で有名。ナチスの迫害を避けて、ブラジルに亡命し、自殺。作「ジョセフ=フーシェ」「マリー=アントワネット」「昨日の世界」など。ツバイク。

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精選版 日本国語大辞典 「ツワイク」の意味・読み・例文・類語

ツワイク

[一] (Arnold Zweig アーノルド━) ドイツのユダヤ系の小説家。第一次世界大戦に従軍、一九三三年パレスチナに亡命し、反ファシズム活動に参加。次第にマルクス主義の立場を明確にし、社会主義リアリズムの作風を確立した。代表作は連作「白人たちとの大戦争」。(一八八七‐一九六八
[二] (Stefan Zweig シュテファン━) オーストリアのユダヤ系の作家。新ロマン派の抒情詩人として出発、人道主義的生活感情を基調とした小説、戯曲などをてがける。「ロマン=ロラン」などの伝記作家としての評価が高い。(一八八一‐一九四一

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改訂新版 世界大百科事典 「ツワイク」の意味・わかりやすい解説

ツワイク
Stefan Zweig
生没年:1881-1942

オーストリアの作家。富裕なユダヤ人実業家の子としてウィーンに生まれた。新ロマン主義の詩人として文学的な出発をしたが,その活動はすこぶる多角的で,詩,戯曲,翻訳,小説,評論,伝記など,文学のほとんどあらゆる分野にわたっている。文学的にはホフマンスタール,ベルハーレン,フロイトらの影響を受け,ロマン・ロランとは第1次大戦中にスイスで親交を結び,共に平和運動にたずさわった。作家としてだけではなく,国際的な知識人,代表的ヨーロッパ人としても彼の存在は重きをなした。大戦後まもなくファシズムの暗い影がヨーロッパを覆い始め,平和主義者でありユダヤ人である彼は身の危険を感じて,1919年以来住み慣れたザルツブルクを去って35年にイギリスへ,41年アメリカへ,さらにブラジルへと亡命したが,ついに精神的不安を克服することができず,42年にリオ・デ・ジャネイロ近郊ペトロポリスで第2の妻ロッテと共に服毒自殺をとげた。彼の作品は多数にのぼるが,感情移入の能力,博読多識,収集癖,よい意味での詮索好きなど,彼の特質が存分に発揮された伝記小説の分野にすぐれたものが多い。《ジョゼフ・フーシェ》(1929),《マリー・アントアネット》(1932),《エラスムスの勝利と悲劇》(1934),遺稿《バルザック》(1946)などがそれであるが,古きよきヨーロッパをなつかしむ長編評論《昨日の世界》(1944)も逸することのできない作品である。
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ツワイク
Arnold Zweig
生没年:1887-1968

ドイツの作家。シュレジエン地方グローガウ(現,ポーランド領)でユダヤ系の家に生まれる。審美主義的小説《クラウディアをめぐる物語》(1912)で認められる。第1次大戦を工兵として,また東部司令部付き通信員として体験。ロシア兵捕虜を人違いとわかりつつ軍の権威のために処刑した事件を扱う小説《グリーシャ軍曹をめぐる争い》(1927)が国際的反響をよぶ(1929年アメリカで映画化)。さらに《1914年の若い女》(1931),《ベルダンでの教育》(1935),《ある王の即位》(1937),《砲火とだえて》(1954),《機は熟す》(1957),《氷が砕ける》(未完)と生涯書き続けたこの連作(《白人の大戦争》と総称)は,第1次大戦についての〈百科事典〉と呼ばれたほど,多面的に戦争を分析した大規模な作品である。戦場の描写より,むしろ社会的背景や心理面に重点がおかれて,戦争体験によって意識変革を遂げる人たちの姿が描かれる。反ナチス小説《ワンツベクの斧》(1943)やユダヤ人問題の評論も注目される。1933年パレスティナに亡命するがシオニズムに失望。50歳代でマルクス主義文献を読む。48年帰国後,東ドイツで活躍した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ツワイク」の意味・わかりやすい解説

ツワイク
Zweig, Stefan

[生]1881.11.28. ウィーン
[没]1942.2.23. リオデジャネイロ近郊ペトロポリス
オーストリアのユダヤ系作家。富裕な織物工場主の子としてなに不自由ない少年時代を過し,高等学校時代から文才を発揮,20歳のとき詩集『銀の弦』 Silberne Saiten (1901) を発表して文壇に登場。ヨーロッパ各地を遍歴してフロイト,R.ロランらと親交を結んだ。ナチスに追われて 1934年イギリスに亡命,さらに 40年ブラジルに移住。暗黒の時代に絶望して若い妻とともにピストル自殺をとげた。フロイトの精神分析を援用した多数の伝記で知られる。バルザック,ディケンズ,ドストエフスキーを扱う『3人の巨匠』 Drei Meister (20) ,ヘルダーリーン,クライスト,ニーチェを扱う『魔神との戦い』 Der Kampf mit dem Dämon (25) ,『ジョゼフ・フーシェ』 Joseph Fouché (29) ,『マリー・アントアネット』 Marie Antoinette (32) ,『エラスムスの勝利と悲劇』 Triumph und Tragik des Erasmus von Rotterdam (35) など。その他,短編集『アモク』 Amok (22) ,『感情の混乱』 Verwirrung der Gefühle (27) ,戯曲『エレミア』 Jeremias (17) ,自伝『昨日の世界』 Die Welt von Gestern (42) などがある。

ツワイク
Zweig, Arnold

[生]1887.11.10. グローガウ
[没]1968.11.26. 東ベルリン(現ベルリン)
ドイツの作家。ユダヤ人の馬具商の家に生れる。大学在学中から創作,短編集『クラウディアをめぐる物語』 Die Novellen um Claudia (1912) で認められた。第1次世界大戦に従軍,戦場での体験はその後の作家生活に決定的な影響を与えた。また,ユダヤ民族統一運動を推進し,その思想は作品にも色濃く反映している。 1927年,膨大な連作『白人たちの大戦争』 Der grosse Krieg der weissen Männerの第1作『グリーシャ軍曹をめぐる争い』 Der Streit um den Sergeanten Grischaを発表,ドイツ兵士に革命思想を吹込んだかどで処刑されるロシア兵捕虜の運命を通じてドイツ軍国主義を弾劾。引続いて『1914年の若い女』 Junge Frau von 1914 (31) ,『ベルダンでの教育』 Erziehung vor Verdun (35) ,『国王の任命』 Einsetzung eines Königs (37) ,『砲火やむ』 Feuerpause (54) ,『機は熟す』 Die Zeit ist reif (58) の全6巻を完成。その間,33年ナチス台頭とともにパレスチナへ亡命,48年帰国,東ドイツ (当時) の文学の重鎮として活躍した。

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百科事典マイペディア 「ツワイク」の意味・わかりやすい解説

ツワイク

オーストリアのユダヤ系作家。新ロマン派の詩人として出発,多くの小説,戯曲,評論を書いたが,国際的な知識人であり,J.フーシェマリー・アントアネットエラスムスバルザックらの伝記小説に特色を発揮。ナチスのオーストリア併合とともに亡命し,ブラジルで自殺。回顧録《昨日の世界》はヨーロッパ精神史の貴重な資料。
→関連項目伝記

ツワイク

ドイツのユダヤ系小説家。第1次大戦に兵卒として参加。《グリーシャ軍曹をめぐる争い》(1927年)以後のいわゆるグリーシャ連作で第1次大戦の全貌(ぜんぼう)を描き出した。1933年パレスティナに亡命したが,シオニズムに失望し,戦後は東ドイツで活躍。

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