精選版 日本国語大辞典 「マルクス主義」の意味・読み・例文・類語
マルクス‐しゅぎ【マルクス主義】
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狭義には、カール・マルクスの思想・理論・学説のこと、広義には、マルクスとその盟友エンゲルスを継承した諸思想・理論・学説およびそれに基づく実践活動をさす。マルクス主義の思想的・理論的基礎は、弁証法的・史的唯物論であり、経済学説としての剰余価値説に基づき主著『資本論』が書かれ、その政治的学説としての階級闘争論と結び付いて、資本主義社会の崩壊と社会主義・共産主義の到来を展望した。その実践的性格ゆえに、マルクス主義は労働運動・社会主義運動に理論的基礎を提供し、20世紀においてもっとも影響力ある思想の一つとなったが、1989年の東欧革命、1991年ソ連解体以後、その革命論、階級闘争論は急速に影響力を失った。
[加藤哲郎]
マルクス主義は、マルクスとエンゲルスが、それ以前の人類史のさまざまな知的遺産を批判的に摂取することにより、19世紀なかばに形成された。ヘーゲル弁証法をはじめとしたドイツ古典哲学、スミスやリカードらのイギリス古典派経済学、サン・シモン、フーリエらのフランス社会主義・共産主義思想は、のちにレーニンによって「マルクス主義の三つの源泉」と命名されたが、古典古代の唯物論哲学、ホッブズ、ロック、ルソーらの近代市民思想、ダーウィン進化論を含む自然諸科学の同時代の到達点なども、マルクス主義の生成・展開に役割を果たしている。エンゲルスは、サン・シモン、オーエン、フーリエらの「空想的社会主義」との対比で、近代諸科学から引き出されたマルクスの社会主義思想を「科学的社会主義」と称した。
マルクス自身の思想形成に即してみると、ヘーゲル主義左派の急進的民主主義者としての出発から『経済学・哲学手稿』を経てエンゲルスとともに唯物史観を確立する『ドイツ・イデオロギー』(1845~1846)に至る初期マルクス、『共産党宣言』と一八四八年革命の敗北・総括を経て『経済学批判要綱』など政治経済学批判ノート作成に携わる中期マルクス、そして、『資本論』第1巻刊行(1867)からパリ・コミューンを第一インターナショナル指導者として経験し、『フランスの内乱』『ゴータ綱領批判』『ザスーリチへの手紙』などを残しながら『資本論』第2巻以降を完成しえずに没した後期マルクス、という歴史的展開がみられる。
[加藤哲郎]
初期のマルクスは、フランス啓蒙(けいもう)思想の影響を受けつつ、ヘーゲル哲学の思弁的・観念論的側面を、フォイエルバハ的な「現実的人間」の立場から克服し、実践的・唯物論的弁証法に仕上げていく。その際マルクスは、キリスト教的普遍主義やプロイセン国家の幻想的公共性を人間の類的本質の疎外態としてとらえ、人間の共同性の回復は、私的利害対立を生み出す市民社会内部での私的所有の廃絶に求めなければならないと説いた。歴史発展の主体を現実的諸個人に置き、人間の生存の第一条件としての生産に着目し、生産のなかでの人間と自然との物質代謝、人間と人間との社会的交通のあり方に焦点をあわせていった歴史観・社会観としての史的唯物論の成立は、人間存在そのものを自然史のなかに位置づけ、精神・意識に対する物質的存在の先行性を承認し、存在の物質的運動を内的矛盾の発展過程と把握する世界観としての弁証法的唯物論の成立と不可分であった。それは、人間の類的解放の理論として、諸個人の自由な協同社会としての共産主義の構想と結び付いて、形成されたものであった。
[加藤哲郎]
史的唯物論は唯物史観ともよばれ、マルクスの次の定式によって理解される。「人間はその生活の社会的生産にあたって、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した関係、生産関係に入る。この生産関係は、彼らの物質的生産力の一定の発展段階に照応する。これらの生産関係の総体が社会の経済的構造を形づくる。これが現実の土台であって、その上に法律的および政治的な上部構造がたち、またそれに一定の社会的意識諸形態が照応する。物質的生活の生産様式が、社会的・政治的・精神的な生活過程一般を条件づける。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなくて、逆に、彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。社会の物質的生産力は、その発展のある段階で、この生産力がそれまでその内部で働いてきた現存の生産関係と、あるいはそれを法律的に言い表したものにすぎないが、所有関係と、矛盾するようになる。これらの関係は、生産力の発展の形態から、その桎梏(しっこく)に転化する。そのとき、社会革命の時代が始まる。経済的基礎の変化とともに、巨大な上部構造自体が、あるいは徐々に、あるいは急速に変革される。……大づかみにいって、経済的社会構成体の相次ぐ諸時代として、アジア的・古代的・封建的・近代ブルジョア的の諸生産様式をあげることができる」(『経済学批判』序文)。この定式に凝縮的に示された、社会的存在―社会的意識、物質的生産過程―イデオロギー的生活過程、土台―上部構造、生産力―生産関係、生産様式―経済的社会構成体、などの諸概念は、マルクスの膨大な著作のなかで、さまざまなニュアンスを含んで用いられており、エンゲルスやレーニン、スターリンらによって単純化されて説明される場合もあるが、マルクス主義的社会観の不可欠の要素となっている。また、原始共同体、奴隷制、封建制、資本主義と理解されうる諸社会の発展系列も、その共産主義へ至る道筋は、未開→野蛮→文明、人類前史→本史、人格的依存関係→物象的依存関係→自由な諸個人の共同社会、労働と所有の本源的同一性→分離→同一性の高次復活、本源的共同体→市民社会→共同体的市民社会、社会的・共同的所有→階級的・私的所有→共産主義、などの視角からの歴史把握を排除するものではなく、マルクスの唯物史観は、単線的・継起的発展説であるよりも、複合的・重層的発展説であったと考えられる。
[加藤哲郎]
唯物史観は生産力と生産関係の矛盾に社会発展の根拠を求めるが、それは歴史のなかで諸個人の能動的実践の果たす役割を否定する因果的決定論ではなく、むしろ生産手段の所有関係によって規定される諸個人の階級的対立とその政治的表現である階級闘争の次元での、諸個人の主体的実践に決定的意義を認めるものである。生産手段の所有関係は、社会的生産のなかでの諸個人の役割、生産物の分配諸関係、諸個人の政治的・イデオロギー的位置と役割の自覚などにも規定的に作用し、歴史具体的な社会発展は、諸階級の闘争の歴史として理解される。資本主義社会においては、生産手段を資本制的に所有するブルジョアジーと、商品としての労働力の販売のみにより生活を維持するプロレタリアートとの闘争が、基軸となる。一八四八年革命の直前に書かれた『共産党宣言』は、この階級闘争論による社会主義革命への歴史的スケッチであり、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』や『フランスの内乱』は、階級闘争論による現実政治分析の典型である。階級闘争論によって、マルクスは、資本主義社会の内部において社会主義・共産主義への変革へと向かうプロレタリアートの歴史的使命を発見し、労働者階級政党結成の意義をみいだし、資本主義から共産主義へ移行する過渡期におけるプロレタリアート独裁の思想を提起した。
[加藤哲郎]
資本主義社会では商品生産・流通が全社会において支配的なものとなり、労働力さえも商品化されている。自由・平等・民主主義といった観念は、この商品交換関係の普遍化により市民社会の表層に現れるが、生産過程においては、資本家に購買された労働力は資本の統制下で消費され、労働力を再生産するために必要な価値以上の価値を生産物に付加する。これが剰余価値であり、その実体は社会的必要労働時間を超える剰余労働時間で計られ、この剰余価値の生産が、資本主義的生産の規定的動機となる。剰余価値は、投下資本価値を上回る自己増殖する価値として、利潤に転化し、企業者利得、利子、地代の源泉となる。労働者階級は、賃金引上げ・労働時間短縮などで資本家階級に抵抗するとともに、究極的にはこの剰余価値搾取に反対する闘争によって、社会主義・共産主義へと向かっていく。『資本論』は、剰余価値論に基づいて資本主義社会を解剖したマルクスの主著である。
[加藤哲郎]
剰余価値搾取に反対する労働者の階級闘争は、生産手段の共同所有に基づく共産主義を目標とするが、社会主義革命による資本主義の廃絶によってただちに共産主義が実現されるのではなく、その過渡期にはプロレタリア独裁の国家が必要とされ、「資本主義社会から生まれたばかりの共産主義」の第一段階でも、資本主義社会の母斑(ぼはん)が残る。レーニンはこの第一段階を社会主義段階とよんだが、ロシア革命以後生まれた現存社会主義国家については、これがマルクスの構想した共産主義へのいかなる発展段階にあるのかをめぐって学問的・政治的論争が行われた。
[加藤哲郎]
マルクス没後のマルクス主義は、その理論・学説の解釈と理解の正統性、その適用としての政治的戦略・戦術をめぐって、さまざまな潮流を生み出してきた。第二インターナショナルのベルンシュタイン、カウツキー、これに反対したローザ・ルクセンブルク、ロシア革命に勝利したレーニン、これを引き継いだトロツキー、ブハーリンと、彼らを失脚させたスターリン、スターリンと同時代のルカーチ、コルシュ、グラムシ、社会民主主義系のヒルファーディング、バウアーなどが著名である。ロシア革命後、世界人口の3分の1を超す人々が社会主義国家のもとで生活し、こうした国々ではマルクス・レーニン主義、毛沢東主義などとしてのマルクス主義が絶対的権威をもち、学校教育でも用いられたため、1989年東欧革命、1991年ソ連解体以後は、むしろマルクス主義そのものを抑圧思想・全体主義思想として批判・排除する傾向が強い。他方、西欧社会では、マルクス主義そのものの多元的存在形態を積極的に評価し、19世紀資本主義分析の「古典」の一つとして歴史的に位置づけ、その現代的発展を図ろうとする立場も現れてきている。
[加藤哲郎]
『エンゲルス著、寺沢恒信訳『空想から科学へ』(1966・大月書店・国民文庫)』▽『レーニン著、全集刊行委員会訳『カール・マルクス』(1965・大月書店・国民文庫)』▽『P・アンダーソン著、中野実訳『西欧マルクス主義』(1979・新評論)』
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(石川伸晃 京都精華大学講師 / 2007年)
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マルクスが創造した世界観,社会主義理論を称する。フランスの空想的社会主義,イギリス経済学,ドイツ古典哲学をもととするといわれる。弁証法的唯物論を基礎とするか否かについては意見が分かれるが,唯物史観(史的唯物論)と剰余価値説に立脚しており,資本主義社会の胎内から必然的に社会主義社会が生まれる,と説く。19世紀末には修正主義が生まれて,民主主義と社会改良による社会主義への平和な移行を説き,一方レーニンらの共産主義は武力革命とプロレタリアート独裁を強調した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
ドイツのカール・マルクスが,ドイツ観念論哲学・イギリス古典派経済学・フランス社会主義思想を批判的に継承して主張した,資本主義を否定し共産主義を展望する学説・思想。日本には堺利彦の雑誌「社会主義研究」(1906創刊)などによって紹介された。ロシア革命の成功は,その正しさの証として知識人などにうけとめられ,1922年(大正11)には非合法に日本共産党が結成された。30年(昭和5)前後には,日本の現状把握と革命の展望とをめぐって,同じくマルクス主義を唱える講座派と労農派が論争をくり広げ,学問・文化に大きな影響を与えたが,第2次大戦の戦時体制強化にともなって窒息させられていった。戦後,言論の自由が保障されると,社会運動・学問・文化への影響は一時大きくなったが,社会主義諸国が崩壊し,また資本主義が新たな発展を示すなかで影響力は低下し,その解釈も多様化してきている。
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出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…マルクス,エンゲルスのイデオロギー論のねらいは,こうした支配階級のイデオロギーの虚偽性を社会の〈下部構造〉の矛盾との相関のなかで暴露し,批判することにあった。上部構造(2)イデオロギー論はその後,マルクス主義陣営以外では,第1次大戦後のドイツで〈知識社会学〉という社会学の一特殊分野を生み出すことになった。その体系家K.マンハイムはイデオロギーとユートピアとを対比し,両者ともに現実の社会には適合しない〈存在超越的〉な観念であるとしながらも,ユートピアが〈存在がいまだそれに達していない意識〉,つまり既存の社会をのりこえる革命的機能をもつ意識であるのに対し,イデオロギーは〈存在によってのりこえられた意識〉,つまり変化した新しい現実をとりこむことのできない,時代にとり残された意識,と規定した。…
…フランス語のエリートéliteという語は17世紀にすでに用いられていたが,それが政治的概念として英語圏でも用いられるようになったのは1930年代以降のことである。エリート理論はマルクス主義理論に対する批判として生まれた。つまり,マルクス主義が政治を上部構造としてとらえ,下部構造である経済によって究極的に規定されるとしたのに対して,エリート理論は政治の自律性を説き,政治エリートはけっして経済的エリートと同一視しえないことを指摘した。…
…K.マルクスとともにマルクス主義(いわゆる科学的社会主義)の創設者。マルクスの単なる協力者ではなく,独自の理論的傾向をもち,今日のマルクス主義(ことに正統派マルクス主義)に,むしろマルクス以上の影響を与えている。…
…また〈産業革命〉など革命という語の比喩的な使用例も,上述したようなレボリューション概念の近代的な意味論的転換とその含意を前提にしている。
[マルクス主義の革命理論]
上述の意味での革命こそが近代および現代の革命理論および革命に関する理論の主題を構成するが,この主題は,革命の定義を前提として,革命はなぜおこるかというその発生論ないし原因論,革命の政治過程の分析,革命の経済的・政治的・社会的帰結ないし意義の評価などに分節化されうる。そしてこれらのすべてにわたって,相対的にもっとも首尾一貫した説明を準備すると同時に,少なくとも現代の革命に対してもっとも大きな実践的インパクトを与えているのは,マルクス主義,なかんずくマルクスとレーニンの革命理論である。…
…ソルボンヌに学ぶ。1933年,共産党に入党,56年から党政治局員としてイデオロギー部門を担当(1968年まで),マルクス=レーニン主義を強硬に擁護したが,スターリン批判後はマルクス主義哲学の再生に努め,社会主義への新しい道を求めて宗教をはじめ広く文化の問題に取り組み,70年党から除名される。《20世紀のマルクス主義》をはじめ,後期の著作の多くは日本にも紹介されている。…
…オーストリアやハンガリーに代わってワイマール共和国のドイツがその中心となり,のちにアメリカで有名になる多くの精神分析学者が育った。彼らのなかには,フロイトが未来の文化や革命に対して悲観的であったのに対して,社会主義的革命思想に共感し,フロイト主義とマルクス主義の総合を試みる者もあった。なかでも,ライヒは,もっとも急進的な例であるが,その結果,精神分析学派からも共産党からも排除された。…
…同時に,カエサル独裁以前のカエサル,ポンペイウス,クラッススの三頭政治,フランス革命のジャコバン党,ドイツのナチスやソ連のボリシェビキ党=共産党など,グループや政党と結びつけて独裁が語られる場合もある。マルクス主義においては,資本主義社会における政治はたとえ民主主義形態をとっていてもその本質は少数のブルジョアジーの独裁であるが,社会主義社会は多数者である労働者階級の独裁=プロレタリアート独裁であり,真の民主主義である,とする階級独裁理論がとられてきた。
[古代ローマのディクタトル]
独裁dictatorshipの語自体は,古代ローマのディクタトル(独裁官)の制度にはじまる。…
…発足当初は吉野の民本主義論を奉じたが,20年代に入って思想界における社会主義の台頭に伴い,その重要な伝達者,実践者となった。 社会主義運動内の新人会出身者の分布は,右派の赤松,宮崎,《社会思想》によって中間派理論を主唱した河野密,三輪寿壮,平貞蔵,共産党系の《マルクス主義》に論陣をはった志賀義雄,林房雄,村山藤四郎,水野成夫,浅野晃など多方面にわたる。そのほか,河村又介,蠟山政道,服部之総,住谷悦治など著名な学者や大宅壮一,中野重治などの文人等々各界のリーダーが輩出した。…
※「マルクス主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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