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フーシェ フーシェFouché, Jacobus Johannes

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

フーシェ
Fouché, Jacobus Johannes

[生]1898.6.6. ブルームフォンテーン
[没]1980.9.23. ケープタウン
南アフリカ共和国政治家。ステレンブーシュ大学卒業。1941~50,1960~68年下院議員。1951~59年オレンジ自由州知事を経て,1959~66年国防大臣,1966~68年農業技術・水利事業大臣を務めた。1968年2月共和国第2代大統領に就任。1975年4月退任。

フーシェ
Fouché, Joseph, Duc d'Otrante

[生]1759.5.21. ナント,ペルラン
[没]1820.12.26. トリエステ
フランスの政治家。オラトリオ会学校の教師をつとめ,フランス革命が勃発するやジャコバン・クラブに加入し,1792年9月国民公会議員。国王ルイ 16世の裁判では死刑に賛成し,山岳派に籍をおいた。しかしヌベールやリヨンでの革命指導の行過ぎを M.ロベスピエールに批判されて以後テルミドールの反動の謀略に参加。フリュクティドール 18日のクーデターでは P.バラスを助け,その功績でイタリア,次いでオランダ派遣の政府代表となった。 99年7月総裁政府の警察大臣に任命され,ブリュメール十八日のクーデターではナポレオン・ボナパルト (ナポレオン1世) に味方し,執政政府の警視総監に就任。 1802年辞任したが,G.カドゥーダルの陰謀の発見に寄与して 04年再び登用された。 09年オトラント公となったが,ナポレオンのスペイン遠征中 C.タレーランとの策謀が発覚して皇帝の信用を落した。ナポレオンの退位後ルイ 18世の警察大臣となったが,16年の法令によって国王弑逆者として追放され,プラハ,リンツ,トリエステに亡命。主著『回想録』 Mémoires (1822~24) 。

フーシェ
Foucher, Alfred

[生]1865.11.21. ロリアン
[没]1952. ソー
フランスの東洋学者。 1901~07年フランス極東学院長,19年パリ大学インド語教授。 26年東京日仏会館代理館長。彼の最大の仕事はインド美術をギリシア美術と関係づけたことである。数度にわたってインド,インドシナ,アフガニスタンに学術探検し,バーミアーン峡谷の遺跡を調査。主著"Études sur l'iconographie bouddhique de l'Inde" (1900) ,"Sur la frontière indo-afghane" (01) ,"L'Art gréco-bouddhique du Gandhāra" (2巻,05~51) ,"La vie du Buddha,d'après les textes et les monuments de l'Inde" (49) 。

フーシェ
Foucher, Simon

[生]1644.3.1. ディジョン
[没]1696.4.27. パリ
デカルト学派を批判したフランスの哲学者。パリで神学を修め,司祭となった。アカデメイア派の再興者を自認。心身間の相互作用が存在する以上,精神と物体 (肉体) は類似したものであるとして,マルブランシュライプニッツと論争した。

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百科事典マイペディアの解説

フーシェ

フランスの政治家。聖職者出身。フランス革命では山岳派指導者の一員となり反革命の反乱鎮圧に活躍。テルミドール9日に荷担,総裁政府時代にはパリ警視総監。のちナポレオンに接近してブリュメール18日のクーデタに貢献し,1808年オトラント公。
→関連項目ツワイク

フーシェ

フランスの東洋学者。ハノイ極東学院長,パリ大学教授などを歴任,1922年―1925年アフガニスタンの考古学的調査に従事した。その時発掘した美術品の多くはギメ美術館収蔵

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世界大百科事典 第2版の解説

フーシェ【Alfred Foucher】

1865‐1952
フランスの東洋学者。ハノイのフランス極東学院院長(1901,1905‐07),パリ大学教授(1919)などを歴任。仏教美術を中心にした考古学的実地調査は,インド亜大陸,インドシナ,ジャワ,西域,中国,日本に及び,その成果は《ガンダーラのギリシア・仏教美術》2巻(1905‐51),《仏教美術の始原》(1917)など多くの著作に結実した。ほかにB.H.ホジソン収集のネパール・チベット仏画の目録(1897)などがある。

フーシェ【Joseph Fouché】

1759‐1820
フランスの政治家。大西洋岸の港町で,船乗りの家に生まれたが,虚弱だったのでオラトリオ会神学校に入り,物理学の教師になった。フランス革命が始まると,故郷に近いナントで政治活動を始め,1792年に国民公会議員に選出された。国民公会では山岳派に所属して国王の処刑に賛成し,反革命の反乱が生じたリヨンに鎮圧のため派遣されると,徹底的な武力鎮圧方針をとって多数の反革命派を処刑し,〈リヨンの霰弾(さんだん)乱殺者〉というあだ名を得た。

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大辞林 第三版の解説

フーシェ【Joseph Fouché】

1759~1820) フランスの政治家。ジャコバン派の恐怖政治下、反革命派の大量処刑を行う。テルミドール反動に暗躍。ナポレオンの片腕となるが、没落後は王政復古に協力。謀略政治家の典型とされる。

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世界大百科事典内のフーシェの言及

【シャーバーズ・ガリー】より

…パキスタンの北西辺境州,ペシャーワルの北東約70kmにある村で,古代の通商路上の要衝として栄えた。A.フーシェは玄奘の《大唐西域記》に記される跋虜沙(ばろしや)城にあたるとした。南東の丘の西側山腹の岩とそこから落下した山麓の岩塊とにカローシュティー文字で刻まれたアショーカ王の磨崖法勅がある。…

【政治警察】より

…具体的には,選挙・集会・結社・大衆運動・宗教などの規制,思想・言論・出版の検閲および規制をとおして,革命運動,クーデタ,労働運動,農民争議,植民地独立運動などの反体制的運動の鎮圧,取締り,諜報活動を主要な任務としている。近代政治警察はフランス革命直後に,王党派とジャコバン派の左右両派の抑圧のために,J.フーシェが創設した組織に端を発する。歴史上最も有名なナチス・ドイツのゲシュタポは,このフランス政治警察を模したプロイセンの政治警察を基本的に継承したものといわれている。…

※「フーシェ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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