コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ベルダン Verdun

翻訳|Verdun

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ベルダン
Verdun

フランス北東部,ムーズ県の町。ムーズ川沿岸に位置する。ケルト人の要塞が町の起源。交通の要地にあたり,ガロ・ローマ時代から商業が発展。4世紀には司教座がおかれた。のちフランク王国領となり,843年には,カルル大帝の3人の孫が王国を3分するベルダン条約をここで結んだ。 10世紀にはドイツ領となり,ツール,メス (メッツ) とともに3司教領を形成。 1552年にはアンリ2世が3司教領を占領し,以後フランス領となったが,フランス帰属が正式に承認されたのは 1648年のウェストファリア条約によってである。 1792年,プロシア軍により占領。 1870~73年にもプロシア軍に占領されたが,さらに第1次世界大戦中の 1916年には2月下旬から9月中旬までの長い間,ドイツ,フランス両軍により大激戦が続けられた。ベルダン会戦として知られる。現在も要塞跡,記念碑などを訪れる者が多い。町は周辺の農業地区の中心で,工業は繊維,印刷,家具製造,製菓など小規模。 11世紀の大聖堂,軍事博物館などがある。人口2万 3427 (1990) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

ベルダン(Verdun)

フランス北東部の都市。ミューズ川沿いにある。ベルダン条約の締結地。第一次大戦中の1916年、ドイツ軍をフランス軍が破った激戦地。要塞が残る。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

世界大百科事典 第2版の解説

ベルダン【Verdun】

フランス北東部,ロレーヌ地方のムーズ川沿いの町。人口2万3000(1990)。司教管区。交通の要衝にあり,古代ローマ時代から要塞都市として発達,1552年,フランス王国に統合された。843年にフランク王国分割のベルダン条約が締結された地として,また第1次世界大戦の際,1916年2月から12月まで,ムーズ川の両岸からのドイツ軍の激しい攻撃に対してフランス軍が果敢に抵抗した町(ベルダンの戦)として知られる。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

ベルダン【Verdun】

フランス北東部、ムーズ川中流域の小都市。第一次大戦中の1916年ドイツ軍の総攻撃をペタン将軍指揮下のフランス軍が撃退した戦場。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ベルダン
べるだん
Verdun

フランス北東部、ムーズ県の副県都。メスの西64キロメートルにあり、ムーズ川が貫流する。人口1万9624(1999)。標高275メートルの上町にはノートルダム寺院(11世紀創建)と城塞(じょうさい)、プランスリー館(16世紀の聖職者監督職の館(やかた)。現博物館)がある。標高70~75メートルの下町には、17世紀の市庁舎が残る。小規模の金属製錬業、乳業、家具、織物などの工業がある。ガリア時代にはベロドゥヌムVerodunumとよばれた。4世紀に司教座の所在地となる。843年ベルダン条約がこの地で結ばれ、カロリング王朝は三つに分かれた。13世紀に自由都市となった。交通の要衝にあるため長くフランスとドイツの係争地であったが、1648年フランス領となった。1792年と1870年にプロイセンが占領。第一次世界大戦中の1916年に起きたベルダンの戦いはとくに有名。[大嶽幸彦]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ベルダンの関連キーワードルートウィヒ(2世)(東フランク国王)アンリ・フィリップ・オマー ペタンルートウィヒ2世(ドイツ王)カルル2世(禿頭王)ルートウィヒ[2世]ルートウィヒ[1世]ファルケンハインロタール[1世]ロタール(1世)カール[2世]カール(3世)西フランク王国東フランク王国メルセン条約バルルデュクソンムの戦いムーズ[川]ジェルビヨンロタール2世ロタール1世

今日のキーワード

いい夫婦の日

11月22日。通商産業省(現経済産業省)が制定。パートナーへの感謝の意を示し、絆を深める。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

ベルダンの関連情報