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テル・エル・アマルナ Tell el Amarna

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

テル・エル・アマルナ
Tell el Amarna

エジプト,カイロ上流約 300kmの中部エジプトのナイル川東岸にある古代の遺跡。第 18王朝アメンホテプ4世が即位後,太陽神アトンを信仰し,都をテーベからこの地アケタートンに移し,建設したもの。みずからもイクナートンと改名した。しかしイクナートンの死後,わずか 15年足らずで都は再びテーベに戻された。エジプトの古代都市のなかでも最もよく発掘され,特にアトン大神殿は開放的なアトン信仰の性格をよく表わしている。東部にある墓所も含めて,装飾はこれまでの静的なエジプト調から,動的なものに変り,改革的な新興宗教の雰囲気をよく伝えている。 1887年以降に,当時の西アジアとの外交関係を示す約 360通のアマルナ文書 (書簡) が発見され,91年以降の発掘では『ネフェルティティ胸像』をはじめ,多くの美術品が出土した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

テル・エル・アマルナ
てるえるあまるな
Tell el-Amarna

エジプトのカイロとルクソールのほぼ中間、ナイル東岸にある遺跡。古代エジプトただ一度の一神教時代の王都。略称はアマルナ。第18王朝の10代目の王アメンヘテプ4世は、王権を脅かすアメン祭司団の異常な勢力を倒し、好戦的なアメン神の教義に対抗し、多神教の伝統を断ち切るため、「唯一神であるところの太陽神アトン」を唱え、王都テーベにアトン神殿を建てた。しかしテーベでアトン信仰の確立は困難となったので、即位6年目にアマルナに都を移し、新王都の名をアケト・アトン(アトンの地平)とし、自らの王名をアケナトン(イクナートンともいう。アトンを歓ばせる者)と改めた。アマルナではアトン賛歌が数多くつくられ、アマルナ・スタイルとよばれる写実的な芸術が発達した。アケナトンは在位17年で死去し、アマルナ時代も終わった。19世紀末にここで貴重な外交文書(アマルナ文書)が発見された。[酒井傳六]

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世界大百科事典内のテル・エル・アマルナの言及

【アマルナ】より

…エジプト中部のナイル東岸にある古代エジプト第18王朝の宗教改革王イクナートンの都址。古代エジプト名アケトアテンAket‐Aten(〈アテンの地平線〉の意),現在の正式名はエルアマルナAl‐‘Amārnaで,テル・エルアマルナTell al‐‘Amārnaともよばれる。改革の実現のため王の治世第4年に造営が決定され,第6~第8年の間にテーベより遷都してから,次王ツタンカーメンの治世第4年に放棄されるまでわずか15年ほどの都であったが,都市計画にもとづいて処女地に建設され,のち異端の都としてほぼ完全に破壊放棄されたため,遺構の基礎部分の保存がよく,都市のプランを知りうる古代エジプトでは数少ない遺跡の一つとして重要である。…

【エジプト美術】より

…またアブ・シンベルの二つの神殿のように,神殿全体が岩山の中に掘りこまれているものもある。テル・エルアマルナで出土した大邸宅の主屋は,ほぼ正方形の平面の一隅に玄関が突出していた。内部はほぼ3等分され,列柱のある横長のホールと中央広間,そして居間,寝室,浴室,便所などのある私室部分にあてられていた。…

※「テル・エル・アマルナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

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