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デモステネス デモステネスDēmosthenēs

翻訳|Dēmosthenēs

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

デモステネス
Dēmosthenēs

[生]?
[没]前413
古代ギリシア,アテネの将軍。ペロポネソス戦争で活躍。前 426年コリントの植民市レウカおよびボイオチア攻略に失敗。しかしその後,ナウパクトス防衛とアムフィロキアのオルパエとイドメネでの二大勝利により令名をはせた。前 425年には海軍を率いて,メッセニアのピュロスを占拠し,クレオンとともにスファクテリアにあったスパルタ軍を破り,重装歩兵 (ホプリタイ ) の一団を捕虜にした。翌年メガラ,ボイオチア攻略に失敗。前 413年ニキアス援助のため,シラクサに派遣されたが,エピポラエ夜襲に失敗,退却の機を逸して降伏,処刑された。有能な軍人ではあったが,政治の場に立つことはなく,戦略家として知られた。

デモステネス
Dēmosthenēs

[生]前384/前383. アテネ,パイアニア
[没]前322. カラウリア(現ポロス)島
古代ギリシア最大の雄弁家。イサイオスの門に学んでから法廷演説家として出発し,やがて政界に入り,特に愛国者として反マケドニア運動の先頭に立ち,力と情熱を傾けた議会演説によって祖国の奮起を促した。彼の名で伝わる 61編の演説のうちで特に有名なものは,『フィリッポス弾劾・第1~第3』 Philippikaをはじめとする政治演説で,その文体は初めはイソクラテスの影響で調和と洗練を示したが,次第に情熱的な個性がほとばしり,重厚さと盛上がりによって人を圧するものとなった。アレクサンドロス大王の死後再び反マケドニア運動を行い,失敗して追及を受け,服毒自殺した。

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デジタル大辞泉の解説

デモステネス(Dēmosthenēs)

[前384~前322]古代ギリシャ、アテネ雄弁家マケドニアの侵略を警告し、アテネの自由を守るよう説いた。マケドニアによるギリシャ統一後、親マケドニア派に追われて自殺。

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百科事典マイペディアの解説

デモステネス

古代アテナイ政治家,雄弁家。《反フィリッポス演説》ほかを発表して反マケドニアの立場にたち,愛国心を鼓吹し,テーバイを引き入れてマケドニアに対抗。カイロネイアの戦に敗れた後も反マケドニア主義を堅持,のちアテナイをのがれ,服毒自殺。
→関連項目アイスキネスヒュペレイデス

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とっさの日本語便利帳の解説

デモステネス

話すことの二倍、人から聞くべきである。\デモステネス
ギリシャの政治家(前三八四~三二二)。

出典|(株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

デモステネス【Dēmosthenēs】

?‐前413
ペロポネソス戦争中に活躍したアテナイの将軍。とくに前425年,ペロポネソス半島南西岸ピュロス攻略の際,スファクテリア島においてスパルタ重装歩兵の一隊を捕虜とする武功をたてた。前413年,劣勢明らかとなったニキアス麾下のシチリア遠征軍の救援に赴き,敗走するアテナイ軍の後衛に任じたが,力尽き投降して処刑された。純然たる軍事指導者として終始し,政治家としての活動は行わなかった。【伊藤 貞夫】

デモステネス【Dēmosthenēs】

前384‐前322
古代アテナイの政治家,雄弁家。アテナイの富裕な工業家であった父と幼いころに死別し,後見人による不正行為のために遺産を失ったため,若いころから法廷演説の草稿書きや修辞の教師をした。後見人の一人を訴えた演説が最初の民事関係の弁論で,これは当時の社会経済を知る貴重な史料である。前350年代中ごろからは公法および政治問題に関する演説によって法廷と議会で活躍する。フィリッポス2世の率いる新興国マケドニアがギリシア本土の内紛に乗じて勢力を伸張してくる情勢に対抗し,前351年からの10年間に《反フィリッポス演説》と同盟市オリュントスを支援する演説各3編を発表して反マケドニアの立場を鮮明にした。

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大辞林 第三版の解説

デモステネス【Dēmosthenēs】

前384~前322) 古代アテネの政治家。反マケドニア派の中心として巧みな弁論術により市民の結集に努めたがマケドニアとの戦いに敗れ、自殺。

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世界大百科事典内のデモステネスの言及

【アイスキネス】より

…アテナイの政治家,弁論家。前4世紀後半のアテナイで,当時北方よりギリシア本土に勢力を伸ばしつつあったマケドニアへの対抗策をめぐり,強硬論を主張する代表的な政治家デモステネスと激しく対立し,裁判でも再三争ったが,前330年敗れてロドス島に隠棲した。両者の法廷弁論は,当時のアテナイの内政と外交の実状を明かす貴重な史料をなしている。…

【ギリシア文学】より

…リュシアスはもっとも純粋なアッティカ散文と称される弁論体によって,法廷弁論をつづり,イソクラテスは華麗な文体を駆使して全ギリシア的和合を目ざす政治と文化の理念を説く。中でもデモステネスの政治弁論はまさに壮絶といわねばならない。彼は,北方からギリシア全土の併呑をたくらむマケドニアの王フィリッポス2世に対抗して,ギリシアの自由を主張して果敢な論陣を張り,みずからの命をもってその政治責任を負う。…

【ヒュペレイデス】より

…アテナイの弁論家。リュクルゴスデモステネスと協調して,マケドニア勢力のギリシアへの進出を阻止するために活躍した。しばしば外地へ赴いて同盟結成を訴え,前340年アテナイがマケドニアに宣戦すると,私財を投じて三段橈船を仕立ててビザンティン攻防戦に参加したり,前338年アテナイ側の敗北後も抵抗を続け,奴隷を解放して市民軍を強化する提案を行ったりした。…

※「デモステネス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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