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デュバリエ Duvalier, François

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

デュバリエ
Duvalier, François

[生]1907.4.14. ポルトープランス
[没]1971.4.21. ポルトープランス
ハイチの政治家。 1934年ハイチ医科大学卒業。 48年労働次官,49年保健相,57年大統領に選出された。一般の黒人大衆の支持のもとに,混血支配層に対する黒人の復権を政綱とし,私設民兵トントン・マクートを率いて文民軍人を問わず政敵を排除,多数を殺害,63年アメリカの援助停止を受けた。 64年憲法を改訂して,終身大統領となり,死ぬ直前に再び憲法を改正し,19歳の息子のジャン=クロードを後継者に指名した。

デュバリエ
Duvalier, Jean-Claude

[生]1951.7.3. ポルトープランス
[没]2014.10.4. ポルトープランス
ハイチの支配者。大統領(在任 1971~86)。1971年,父フランソア・デュバリエ大統領の死をうけて終身大統領職を引き継ぎ,19歳で世界最年少の大統領に就任。前政権の腐敗した独裁的手法を改めるようにとのアメリカ合衆国からの圧力もあり,「漸進的民主化」策を打ち出したが,独裁体制はまったく変わらなかった。ハイチは外国の援助を受けながらも,国際的にはなかば孤立した状態が続いた。1986年,独裁への抗議と社会不安が高まったため妻とともにフランスへ亡命,ハイチは軍事委員会の統治下に置かれた。2010年に帰国。その 2日後に汚職や公金横領の容疑で拘束されたが,まもなく釈放された。その後,大統領在任中に犯したとされる人権侵害で訴追された。

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百科事典マイペディアの解説

デュバリエ

ハイチの政治家。田舎医者から保健省に入ってやがて大臣となり,1957年に6回の政変のあと大統領に選出された。いったん権力の座につくと議会を解散し,再選を果たし,1962年には終身大統領を宣言。〈トントン・マクート〉と呼ばれる秘密警察をつくって〈パパ・ドック〉の異名のもとで独裁恐怖政治を続けた。1971年に死期を悟ると,20歳になっていない息子J.C.デュバリエを後継大統領に就任させた。デュバリエ家の独裁は1986年に反体制暴動で彼が海外に亡命するまで続いた。
→関連項目ゴナイブ

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世界大百科事典 第2版の解説

デュバリエ【François Duvalier】

1907‐71
ハイチの医師,政治家。首都のポルトー・プランス大学を卒業後,田舎医者として農村での医療に従事していたが,その後保健省に入ってやがて大臣になり,1957年には6回に及ぶ政変のあと,大統領に選出された。いったん権力の座につくと,議会を解散し,対立候補のない選挙で大統領に再選され,62年にはついに終身大統領をみずから宣言した。政敵や反体制派を駆逐したり弾圧したりするために,〈トントン・マクート〉と呼ばれる秘密警察をつくって暗殺や脅迫をくり返しながら,〈パパ・ドック〉の異名の下で独裁体制と恐怖政治を続けた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

デュバリエ
でゅばりえ
Franois Duvalier
(1907―1971)

ハイチの独裁政治家。看護兵を経て、アメリカで医学を学ぶ。保健大臣などを務めたあと、1957年に大統領に当選、1964年終身大統領を宣言した。医師をしていたことから「パパ・ドック」とよばれたが、「トントン・マクート」(鬼人)という秘密警察を使い政敵を暗殺し大衆運動を弾圧するなど恐怖政治を行った。3万人以上の殺害に責任があるといわれる。1971年、死の直前に息子のジャン・クロードJean-Claude Duvalier(1951― )を後継者に指名。後継大統領となったジャン・クロード(ベビー・ドック)は、父同様の恐怖政治を行い、1983年にはやはり終身大統領を宣言、腐敗した生活を送った。1986年2月、食糧暴動に端を発した国民暴動が全国に広がるなかで、ジャン・クロード一家は米軍機で国外に脱出し一族の独裁体制は崩壊した。[後藤政子]

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世界大百科事典内のデュバリエの言及

【ハイチ】より

…宗教はカトリック80%,プロテスタント10%,その他10%であるが,カトリックとアフリカ原始宗教との混合宗教であるブードゥーが農村に広く分布している。ブードゥーはハイチにおいて大きな影響力をもっており,独立革命の前ぶれとなった1791年の奴隷反乱では,ブードゥーを信仰する奴隷たちが守護神を奉持して蜂起したし,1957年に大統領に選出されたフランソア・デュバリエは熱心なブードゥー教徒として知られている。
[政治]
 1971年に憲法が改正され,終身大統領制が成立した。…

【ブードゥー】より

…しかし全人口の7割以上が非識字大衆であるハイチの現状からすると,ブードゥーは呪術や魔術的色彩が強く,呪文によって病気の回復を求めたり,祭壇に動物をいけにえにささげたりする習慣がいまなお残っている。元大統領フランソア・デュバリエがブードゥーを利用して独裁政治を行った話は有名である。ウンバンダ【神代 修】。…

※「デュバリエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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