サモリ・トゥーレ(読み)さもりとぅーれ(英語表記)Samori Touré

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サモリ・トゥーレ」の意味・わかりやすい解説

サモリ・トゥーレ
Samory Touré

[生]1830頃 上ギニア,サランコ近郊
[没]1900.6.2. フランス領コンゴ,ガボン
19世紀後半に西アフリカに強大な王国を築き,フランス植民地主義と闘ったイスラム教改革者,軍事指導者。マンデ族(→マンデ諸族)に属した。1868年に宗教的指導者と称し,武装集団を率いてギニアのカンカン地方に強力な部族国家を築いた。指揮官としてだけでなく行政官としても有能で,1880年代初頭の最盛期には西は上ボルタ地方から東はフータジャロン山地まで版図を広げた。西アフリカの植民地化をもくろむフランスの野望に抵抗し,1883年フランスがニジェール川河岸のバマコを占領した際に初めてフランス軍と交戦。1886年フランスに敗れるとフランスの保護国となることを受け入れ,ニジェールに拠点を移した。シカソ(→マリ)の国王ティエバを倒して東に勢力を拡大しようとしたが失敗し,1891年再びフランスと交戦状態に入った。スーダンから撤退を余儀なくされたあと,コートジボアール植民地の高地で王国建設を目指し,1895年にコング,1898年にボンドゥクを制圧。同 1898年9月,フランス軍の追撃によりカバリ川上流地域で捕えられ,その後流刑先で没した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「サモリ・トゥーレ」の意味・わかりやすい解説

サモリ・トゥーレ
さもりとぅーれ
Samori Touré
(1830?―1900)

19世紀末、群雄割拠の西アフリカ内陸部に広大なサモリ帝国を建設し、フランスの植民地侵略に執拗(しつよう)な抵抗を続けた植民地化時代初期の民族的英雄。1830年ごろ、西アフリカの内陸サバナ、今日のギニア北西部のコニヤン地方に、マリンケ人農民の息子として生まれる。当時、西アフリカ内陸部は小国群に分裂し、それらの間で戦乱絶え間なく続いていた。若いころ、行商人として活動していたが、自分の母が戦乱で敵軍の捕虜として捕らえられたことを契機に武士団に加わった。天才的戦略家であった彼は、たちまち頭角を現し、周辺の武将を次々に制圧し、版図を拡大していった。1880年代の最盛期にはサモリ帝国は3万5000人の兵力を擁し、19万平方キロメートルに及ぶ領土と100万人の住民を支配するまでに拡大した。1886年、彼は自らにイスラムの称号アルマミを冠し、イスラムに基づく神権政治を行うことを宣言した。このころ、この地域に侵入してきたフランス植民地軍と一時的には和平が成立した時期もあったが、結局1892年、首都ビザンドゥグはフランス軍に占領された。東方に敗走した彼はそこで帝国を再建し、フランス軍に抵抗を続けた。しかし1898年ついに逮捕され、サモリ帝国は完全に崩壊し、1900年流刑の地ガボンで病死した。

[原口武彦]

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