ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サモリ・トゥーレ」の意味・わかりやすい解説
サモリ・トゥーレ
Samory Touré
[没]1900.6.2. フランス領コンゴ,ガボン
19世紀後半に西アフリカに強大な王国を築き,フランス植民地主義と闘ったイスラム教改革者,軍事指導者。マンデ族(→マンデ諸族)に属した。1868年に宗教的指導者と称し,武装集団を率いてギニアのカンカン地方に強力な部族国家を築いた。指揮官としてだけでなく行政官としても有能で,1880年代初頭の最盛期には西は上ボルタ地方から東はフータジャロン山地まで版図を広げた。西アフリカの植民地化をもくろむフランスの野望に抵抗し,1883年フランスがニジェール川河岸のバマコを占領した際に初めてフランス軍と交戦。1886年フランスに敗れるとフランスの保護国となることを受け入れ,ニジェールに拠点を移した。シカソ(→マリ)の国王ティエバを倒して東に勢力を拡大しようとしたが失敗し,1891年再びフランスと交戦状態に入った。スーダンから撤退を余儀なくされたあと,コートジボアール植民地の高地で王国建設を目指し,1895年にコング,1898年にボンドゥクを制圧。同 1898年9月,フランス軍の追撃によりカバリ川上流地域で捕えられ,その後流刑先で没した。
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