トルコ料理(読み)とるこりょうり

日本大百科全書(ニッポニカ) 「トルコ料理」の意味・わかりやすい解説

トルコ料理
とるこりょうり

トルコ料理は、トルコ民族の故地である内陸アジアの遊牧的食文化、イラン以西の西アジアの農耕的食文化、ビザンティン帝国、オスマン帝国で発達した宮廷料理などの融合のうえに成立した独特の体系をもつ料理である。したがって地域によってその内容も異なってくる。

[永田真知子]

歴史的背景

内陸アジアのトルコ民族は遊牧生活を営んでおり、携帯に便利で、保存の効く食物をくふうした。その代表的なものがチーズであり、ヨーグルトである。とくに、ヨーグルトは純粋なトルコ語で、8世紀の古代トルコ語史料に初めて現れるが、それ以前からも存在したと思われる。一説によると、その起源は、遊牧民が家畜の乳をヒツジの胃袋でつくった容器に入れて移動していたところ、胃袋の内部に残された菌の働きにより発酵してできあがったといわれている。現在ではこのヨーグルトを水で薄めて少量の塩を加えたアイランが清涼飲料として愛飲されているが、これは、元来、ヨーグルトをヤギの皮袋に入れて攪拌(かくはん)すると、その上澄みがバターとなり、これを取り去ったあとに残される酸味を帯びた水分がアイラン(分離するの意)であった。中央アジアの乾燥した風土は、干すことによって食品の長期保存を可能にし、チーズも多量の岩塩を加えて天日で干したものが多い。

 肉の場合でも、パストゥルマは塩と香辛料によって肉をくるみ、乾燥させた干し肉である。その起源については、ある兵士が、出陣したおりに携帯していた塩漬けの肉が馬の鞍(くら)とふとももの間で押しつぶされた(パストゥルマは押し付けるの意)ことにヒントを得たものであるといわれているが、真偽のほどはさだかではない。

 10世紀ごろ、シルダリア流域に移動したトルコ人は隣接したイラン系の農耕民と接触し、その結果、トルコ料理に農耕的性格が加わった。たとえば、スープ(チョルバ)、バター飯(ピラフ)、一種のパイ(ボレキ)、ひき肉団子(キョフテ)などを意味するトルコ語は、いずれもペルシア語に由来している。

 トルコ人のアナトリアへの移住は11世紀ごろから始まった。中央アジアの地勢・気候によく似たアナトリアでの食生活はそれ以前と基本的には変わりがなく、コンスタンティノープル征服(1453)以前のオスマン朝の料理は、調理法も簡単で種類も多くはなかった。トルコ人はビザンティン帝国で盛んであったブドウオリーブの栽培、養蜂(ようほう)業を受け継ぎ、彼らの食物をも取り入れていった。

 宗教上、原則としては酒を飲まないトルコ人は甘い菓子類が大好物である。トプカプ宮殿の厨房(ちゅうぼう)には菓子専門の多くの料理人がいた。ここでは、「婦人のへそ」「美人の唇(くちびる)」「大臣の指」などという蜂蜜(はちみつ)をたっぷり使った変わった名前の菓子が貴人のために用意された。

 コーヒーは、16世紀に征服したエジプトから伝わった。トルココーヒーは昔も今も変わらず、細かく挽(ひ)いた豆を小さなポットで煮立ててつくられる。コーヒーは17世紀にヨーロッパへ伝えられ、短い間に普及した。

 現在のトルコ料理に欠かせないのはトマトと、サルチャとよばれるトマトペーストである。しかし、トマトがいつごろトルコに伝わったのかわかっていない。サルチャがイタリア語のサルサ(ソースの意)に由来していることと、トマトがイタリア料理に使われたのが17世紀以降であることとを考え合わせると、トルコ料理には17世紀末、もしくは18世紀初めから使われたと推測される。酸味のあるトマトはトルコ人の嗜好(しこう)によくあい、それまで味つけに使われていた香料にとってかわった。

[永田真知子]

現代のトルコ料理

前菜

前菜をメゼといい、レストランでは、白チーズ、ベイン・サラタス(ヒツジの脳みそのサラダ)、ムール貝の詰め物、オリーブの塩漬け、パストゥルマの薄切り、春巻に似たチーズやひき肉の入った揚げ物(ボレキ)など数十種類が大皿で出される。これを肴(さかな)にして蒸留酒ラクを飲む。ワインも安くて良質である。

[永田真知子]

パン類

主食は三食ともバゲット状のフランスパンで、これはパン屋で買う。しかし、パン屋のないような田舎(いなか)では、それぞれの家でユフカという薄い無発酵のパンを焼く。このユフカはトルコ人が定住生活を始めたころから食べられていた。オスマン朝時代においても、主食のユフカはおかずを挟むフォークのかわりをした。アダナ地方のケバブ(焼き肉)には、このユフカがかならず添えられる。紙のように薄いなまのユフカは菓子やボレキの材料としても使われる。

[永田真知子]

スープ類

使われる材料によって命名される。タルハナ・チョルバスは、豆と小麦を挽いて煮たものにヨーグルトを加えて発酵させ、できあがったものを乾燥させた一種の調味料(タルハナ)に、水、ひき肉を加えたもの。田舎では、夏の間に1年分のタルハナをつくり保存する。そのほか、ヤイラ・チョルバス(夏営地でのスープといわれ、ヨーグルトが入っているのが特徴)、イシュケンベ・チョルバス(ヒツジの胃袋を小さく切ってタマネギ、ニンニクといっしょに煮込んだもの)、ジャジュク(ヨーグルトの中に刻んだキュウリを入れた冷たいスープ)などがある。

[永田真知子]

肉料理

国民の90%以上を占めるイスラム教徒は、宗教上禁止されている豚肉は食べない。食肉は羊肉が大半を占めるが、最近では牛肉の比重が増加している。調理の方法によって焼き物(ケバブ・ウズガラ)、煮物(ハシュラマ)に分けられる。ケバブはアラビア語カバーブに由来するトルコ語。鉄串(ぐし)(シシ)に肉やピーマン、トマトを刺して焼いたシシケバブ(シシカバブ)は、トルコ料理の代表というべき料理で、遊牧民や兵士が肉片を剣に刺して火であぶって食べたのが始まりといわれている。都市ではヒツジの薄切り肉を大きな鉄串に重ね刺して、その肉の塊を回転させて焼くのがドネルケバブで、これは装置が大掛りなのでレストランでしか食べられない。アダナ・ウルファなどの地名のついたケバブは、鉄串に香辛料のきいた肉団子を薄く延ばして焼き、タマネギ、青トウガラシが付け合せで出される。南部ではチー・キョフテ(なまの肉団子)といって新鮮な羊肉や牛肉をよくたたき、香辛料とドレッシングでなまで食べる。これはいわゆるタルタル・ステーキで、ハンバーグステーキはこれから考案されたという。一般の家庭料理は焼き肉より少量の肉と野菜の煮込みが多い。タスケバブはケバブと名はつくが、トマトで味つけした羊肉とナスの煮込みで、トルコの家庭でもっともよくつくられる。魚は油で揚げ、塩とレモンをかけて食する以外調理法は少ない。

[永田真知子]

野菜料理

米はピラフとして好んで食べられる。野菜・豆類の料理は羊肉といっしょに長時間煮込み、サルチャで味つけをする。ピーマンやトマトの中に米やひき肉でつくった具を詰めたのはドルマ(詰め物料理)、ブドウやキャベツの葉で具を包む調理はサルマ(包み料理)という。

 トルコ料理が、オスマン帝国下に置かれていたバルカン諸国の民族料理に深く影響を与えたことは、ケバブ、ドルマ、サルマなどのトルコ語がバルカン諸語に入っていることからもうかがわれる。今日、世界中で愛飲されているコーヒー、長寿のもとといわれているヨーグルトなどを考えれば、トルコが世界の食事文化に与えた影響は少なくない。

[永田真知子]

『柴田書店編・刊『トルコ料理――東西交差路の食風景』(1992)』

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