日本大百科全書(ニッポニカ) 「トルコ系諸族」の意味・わかりやすい解説
トルコ系諸族
とるこけいしょぞく
Türk
トルコ諸語(チュルク諸語)を分有する民族集団。イギリスのアルタイ語学者G・クローソンによれば、トルコ諸語は次の六つのグループに分けられる。(1)北東グループ(東シベリアとその隣接地域。サハ語、トゥバ語、アルタイ語など)、(2)南東グループ(ウイグル語など)、(3)北部中央グループ(キルギズ語、カザフ語など)、(4)南部中央グループ(ウズベク語など)、(5)北西グループ(カザン・タタール語、カライム語、カラカルパック語、ノガイ語、バシキール語など)、(6)南西グループ(トルクメン語、アゼルバイジャン語、トルコ語など)。
トルコ諸語の分布に明らかなように、トルコ系諸族はユーラシア大陸の中央部を帯状に貫いて広がっている。トルコ系諸族の広がりは民族移動の歴史の反映でもある。中国の史書によれば、紀元前3世紀末にはモンゴル高原北部を中心に丁零(ていれい)という遊牧民の活躍したことが知られる。丁零はトルコ系諸族の一つで、後の高車、鉄勒(てつろく)などの先祖と考えられている。トルコ系諸族の生活様式を歴史的に概観するとき、基本的な要素の一つとして遊牧生活をあげることができよう。
アルタイ山麓(さんろく)からモンゴル高原にかけて隋(ずい)・唐時代に勢威のあった突厥(とっけつ)帝国の中心部を担ったのもトルコ系諸族である。突厥第二帝国は8世紀なかば、同じトルコ系諸族の一つであるウイグルによって滅ぼされる。突厥第二帝国の滅亡とともに、その構成員の一つであったオグズ人が西方へ移動を始める。遊牧生活を続けながらアラル海方面まで進出し、11世紀に入るとその一派はホラサーン地方からイラン領内に侵入してセルジューク朝を建てた。13世紀末には、アナトリアまで移動してきたオグズ人の別の一派がオスマン帝国の基礎を築く。15世紀中ごろまでにビザンティン帝国を滅ぼし、オスマン帝国は小アジア、北アフリカ、東ヨーロッパにまたがる強大な帝国となった。
10世紀末には、中央アジアのトルコ系諸族の一部がイスラム教に帰依(きえ)する。その後、トルコ系諸族の大部分はイスラム化した。オスマン帝国はイスラム教の宗主国でもあった。20世紀に入って、トルコ共和国や旧ソビエト連邦などでは世俗化政策が進められたが、依然としてトルコ系諸族におけるイスラム教の比重は高い。歴史的にみると、トルコ系諸族にはシャーマニズムや仏教、マニ教など多様な宗教を受け入れてきた経緯がある。
トルコ系諸族の総人口は、21世紀に入ってすぐの推定によれば1億数千万人にのぼる。その内訳は、トルコ共和国に約5000万人、中央アジアの五つの共和国(ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、トルクメニスタン、アゼルバイジャン)やロシア連邦内(バシコルトスタン、タタールスタン、チュバシア、サハなど)に約6000万人、中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区、アフガニスタン、イラン、アラブ諸国、キプロス、ヨーロッパ諸国などにあわせて数千万人とされている。21世紀には、世界秩序の再編において、トルコ系諸族の動向が大きな影響を与えることは確実といえる。それは、トルコ系諸族が、EU(ヨーロッパ連合)、中央アジア、アラブ諸国などを結びあわせる位置を占めているためである。
[松原正毅]
『護雅夫著『古代トルコ民族史研究』1~3(1984、92、97・山川出版社)』▽『松原正毅著『トルコの人びと』(1988・NHKブックス)』▽『山田信夫著『北アジア遊牧民族史研究』(1989・東京大学出版会)』▽『松原正毅著『遊牧の世界』上下(中公新書)』