トンガ(国)(読み)とんが(英語表記)Kingdom of Tonga

日本大百科全書(ニッポニカ) 「トンガ(国)」の意味・わかりやすい解説

トンガ(国)
とんが
Kingdom of Tonga

太平洋南西部、日付変更線のすぐ西側(南緯約20度・西経約175度)に位置するポリネシア唯一の王国。トンガ海溝に沿って、その西側に南北に連なる諸島をトンガ諸島といい、この諸島をあわせて1970年にトンガ王国Kingdom of Tongaが公式に独立国となった。人口10万1000(2003年推計)、10万3252(2011年国勢調査)。首都はトンガタプ島ヌクアロファ

 地形上から、北部のババウ諸島、中部のハアパイ諸島、南部のトンガタプ諸島の3群に分けることができる。約170の島のうち、約40島に住民がいる。最北のニウアトプタプNiuatoputapu島から最南のエウア'Eua島まで560キロメートル、水域は25万9000平方キロメートルに及ぶが、陸地面積は合計749平方キロメートルにすぎない。

[大島襄二・山本真鳥・比嘉夏子]

自然

大部分の島は隆起サンゴ礁であるが、西部は火山列となっている。ハアパイ諸島西部のカオKao島は諸島中の最高峰(1125メートル)の、コニーデ型の美しい山容をもつ火山島。ほかに、18世紀以来水面上への出現と水没を繰り返し、1927年の噴火(爆発)で標高118メートルとなったファルコンFalcon島、頂上に広い火口湖をもち、1946年の噴火で1300人の住民立ち退きを余儀なくされたニウアフォオウNiuafo'ou島などのような活火山も多い。

[大島襄二・山本真鳥・比嘉夏子]

歴史

初めてヨーロッパ人が渡来したのは1616年である。その後、1773年および1777年とイギリスの探検家ジェームス・クックが2度来島し、友好を記念してハアパイ諸島を中心にしたこの島々フレンドリー諸島と命名した。一方で、皮肉にもその滞在中に彼を暗殺する陰謀が進行していたが、結果として未遂に終わった。1822年にキリスト教ウェスリー派(プロテスタント・メソジスト派)の宣教師が入島し、1831年にハアパイ諸島の王タウファアハウTaufa'ahauが受洗し、1845年にジョージ・ツポウGeorge Tupou1世となった。その後トンガを統一したジョージ・ツポウ1世は、イギリス人宣教師の助言を受けて1875年に憲法を制定し、近代国家を設立した。1900年にはイギリスの保護領となったが、1970年に完全に独立した。20世紀終わりごろからは海外移民の急増など社会経済情勢の変化を受けて、民主化への動きが進んでいる。

[比嘉夏子]

政治

1875年の統一国家形成および憲法制定以降、国王を頂点とする立憲君主国として政治的安定が維持されてきた。しかし最高権力者である国王および国王が任命する枢密院が実質的な行政権を有し、議会制度においても貴族の特権が認められてきたことから、人口の大半を占める平民の政治参加は大幅に制約されていた。1980年代以降には王族・政府による汚職事件や情報の隠蔽(いんぺい)に対する不満も高まり、平民代表議員を中心として民主化運動が活発化した。

 2006年9月に父であった前国王ジョージ・ツポウ4世の死去に伴い王位を継承した国王ジョージ・ツポウ5世は、2008年8月に戴冠式(たいかんしき)を行ったが、公務員ストライキ(2005)や首都中心部に壊滅的な被害を与えたヌクアロファ暴動(2006)など、国民による民主化への要求を受けて、国王の権限の多くを議会に移譲することを宣言した。その後の憲法改正論議の結果、2010年の選挙では人民代表議員の議席数がそれまでの9議席(貴族代表議席数と同数)から17議席へと増大し、議員投票によってトゥイバカノLord Tu'ivakano(1952― )が初めて国会で選出された首相として就任した。2014年11月には新制度化で二度目の選挙が行われ、同年12月にポヒバHon. Samuela 'Akilisi Pohiva(1941― )が首相に就任した。2012年3月18日国王ジョージ・ツポウ5世死去により、同年ラバカ王太子が王位を継承してツポウ6世となり、2015年7月に戴冠式を行った。

 政体は国王を元首とする立憲君主制。議会は一院制で、議席数は38(閣僚10および知事2、貴族代表議員9[貴族による選出]、人民代表議員17[平民による選出])、任期は3年である。

[比嘉夏子]

経済・産業

国家経済は諸外国の援助および移民からの送金に大きく依存している。主要産業である農業は小規模で営まれ、イモ類などの自給作物の生産が主である。従来の輸出作物であるコプラココヤシの果実の胚乳を乾燥させたもの)、バナナ、スイカ、イモ類に加え、1980年代以降は端境期を利用して日本に輸出するカボチャの生産が盛んになったが、輸出量の増減が激しく、産業としては不安定である。漁業は日本、オーストラリアニュージーランドの援助で企業化が進められ、新しい産業として期待されている。

 2010年の主要輸出相手国はニュージーランド、アメリカ合衆国、日本で、主要輸出産品は魚類、カバ(コショウ科の植物カバの根を砕き、水に浸してつくったポリネシアの伝統的飲料。成分に鎮静作用がある)、カボチャ、イモ類、バニラなどである。主要輸入相手国はニュージーランド、オーストラリア、フィジーなどで、主要輸入産品は食料、飲料、家畜、機械・器機などである。外貨獲得手段として観光業の振興にも力を入れている。通貨単位はパアンガPa'anga(TOP)。

[比嘉夏子]

社会・文化

2011年の国勢調査では、首都ヌクアロファのあるトンガタプ島に7万5416人、ババウ諸島に1万4922人、ハアパイ諸島に6616人、そのほかの島々に6298人が居住している。人種構成は、トンガ人が97.5%を占める。トンガ人は人種的、文化的にもポリネシア系で、淡褐色の皮膚と波状毛をもち、体格は大柄である。オーストロネシア語族ポリネシア諸語の一つであるトンガ語に並び、英語も公用語である。西欧社会と接触する以前に、すでに頂点に王をいただくピラミッド型の位階が定められた首長制統一国家を実現していた。19世紀に入ってから位階制が崩れて一時は戦国時代となったが、王族と宣教師が結託して統一が成し遂げられて以来、さまざまな近代化が進められた。かつての首長制は国王/貴族/平民からなる階層社会へと移行し、憲法によって国王の絶対的な権力は保障された。国土は国王の直轄地、貴族所有地、政府所有地に分かれ、16歳以上の男性すべてに農耕地および宅地を割り当てることが憲法で定められているが、近年は人口増加に伴う土地不足が深刻になっている。

 宗教はキリスト教が18世紀後半から普及し、国民の多くが敬虔(けいけん)なクリスチャン(メソジストが5割以上)である。政治や教育の制度については早くから近代化を遂げた一方で、身分に基づいた礼儀が重んじられたり、カバ飲用が愛好され、タパ(樹皮布)が盛んに生産されたりするなど、伝統的な社会制度や文化が残されている部分も多い。近年ではニュージーランド、オーストラリア、アメリカ合衆国への移民が増加し、移民先国で第二、第三世代を含む移民コミュニティが拡大している。

 義務教育の年齢は5~17歳であり、初等教育6年および中等教育5年が含まれる。中等教育以上はすべて英語によって授業が行われる。また中等教育機関はその大半が教会によって運営されている。高等教育機関は教員養成学校などがいくつか存在するが、人々の教育への関心は高く、海外の大学へ進学し学位を取得する者も多い。

[比嘉夏子]

日本との関係

日本はトンガへの主要援助国の一つとして同国の経済、とくにインフラ整備に大きく寄与しており、国民は親日的である。またオセアニアに現存する唯一の王国として、トンガ王室と日本の皇室の交流もある。トンガから日本へカボチャの輸出、日本からは中古車の輸入といった貿易関係があるほか、来日してラグビーなどのスポーツ分野で活躍するトンガ人も増えている。2009年(平成21)には在トンガ日本大使館が開設された。

[比嘉夏子]


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