トンガ(英語表記)Tonga

翻訳|Tonga

精選版 日本国語大辞典 「トンガ」の意味・読み・例文・類語

トンガ

(Tonga) 南太平洋トンガ諸島にある王国。一九世紀中頃トゥポウ一世が諸島を統一して成立、一九〇〇年イギリス保護国となり、七〇年独立。首都ヌクアロファ

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「トンガ」の意味・わかりやすい解説

トンガ
Tonga

基本情報
正式名称トンガ王国Kingdom of Tonga 
面積=747km2 
人口(2011)=10万人 
首都=ヌクアロファNukualofa(日本との時差=+4時間) 
主要言語トンガ語,英語 
通貨=パアンガPa'anga

南太平洋,ポリネシアにある王国。

トンガ諸島は南北に走る2列の山脈からなっている。太平洋の深い海底から隆起しているこの山脈は,西側ではトフア,ラテなどの高い島となって海面上にそびえるが,東側ではそれより低く,山頂をサンゴ礁が覆っている。さらにその東側は急速に落ち込み,水深1万mに及ぶトンガ海溝を形成している。島の数は150以上に及ぶが,人の住んでいる島は36で,ほとんど東側に属している。

 諸島は北部のババウ,中部のハアパイ,南部のトンガタプの3群に大別される。最大の島は首都ヌクアロファのあるトンガタプ島で,面積256km2,全人口の4分の1が住む。年平均気温は南部で23℃,北部で27℃。1月から6月までが雨季で,平均年降水量は南部で約1600mm,北部で約2000mmである。ときおり熱帯性低気圧に襲われ,大きな被害がある。年間を通じて南東貿易風の影響下にあり,緯度のわりに気候は温暖で快適である。

トンガ人はポリネシア人で,前10世紀ころまでに西方からこの地に移住したと考えられ,ポリネシアの中ではサモアとともに最も古い歴史を有している。トンガ人は長身で肥満する傾向があり,皮膚は褐色,髪は黒色で波状毛である。

 トンガがトゥイ・トンガによって統一されたのは10世紀半ばと推定される。15世紀,第24代のトゥイ・トンガの時代にトゥイ・ハアタカラウア王朝が分かれ,世俗的職務を分掌した。さらに17世紀初め,トゥイ・ハアタカラウアからトゥイ・カノクポルが分かれ,やがてこの王朝が実質的な権力を握った。現国王トゥポウ4世はこの王朝の系統を引いている。

 トンガを3度(1773,74,77)訪れたJ.クックは,住民から親切なもてなしを受け,ハアパイ群島をフレンドリー・アイランズと名づけた。トゥポウ1世(在位1845-93)がキリスト教に改宗して以来,キリスト教は急速に広まり,現在ではほとんどの国民がキリスト教徒で,安息日は厳格に守られている。言語はトンガ語で,英語も公用語として用いられている。

 住民の生業は農耕に依存し,ヤムイモ,タロイモ,バナナなどを主要食料としている。法律上ではすべての成年男子は一定の土地を分け与えられることになっているが,その実施上には多くの困難がある。カバ(コショウ科の木の根から絞り取った汁)は儀礼上重要である。
執筆者:

1616年にオランダのW.スハウテンとJ.ル・メールの一行がトンガ諸島北部の島々を〈発見〉したのが,ヨーロッパ人による最初の知見であった。18世紀後半にはクックが3度訪れた。18世紀末から19世紀半ばにかけて内戦が続いたが,内戦に終止符を打ち,諸島を統一したのは1845年に即位したキリスト教徒のトゥポウ1世であった。王は75年に憲法を制定し,議会制度を導入した。しかしトゥポウ1世死後の1900年,イギリスが外交,国防,財政に責任をもつ保護領になり,この状態が70年6月4日の独立まで続いた。

政体は立憲君主制で,一院制の議会(任期3年)は貴族から選出された9人と,21歳以上の平民男子が選出する9人のほか,国王指名の閣僚12人で構成される。閣僚は退職年齢まで政務をとる。実質的には国王トゥポウ4世による専制政治で,首相はバエア男爵,外相はトゥポウトア皇太子。民主化を求める平民議員の数が少なく,ニュージーランドなどで高等教育を受ける若い世代は帰国せず,人材不足である。農産物加工や繊維産業のため商工業団地を造ったが,失業率が高く,海外への出稼者からの送金が国民の暮しを支えている。1人当りGNPは1630ドル(1995)で,南太平洋諸国のなかではかなり高い。

 90年代に入って,季節の差を利用した日本へのカボチャの輸出が伸び,年間約1000万ドル,輸出の第1位を占め,貴重な外貨収入源となった。日本はまた第1位の援助国で,94年度までの無償援助,技術協力の総額は約113億円にのぼる。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「トンガ」の意味・わかりやすい解説

トンガ

◎正式名称−トンガ王国Kingdom of Tonga。◎面積−748km2。◎人口−10万3000人(2011)。◎首都−ヌクアロファNukualofa(2万人,2011)。◎住民−大部分がポリネシア系のトンガ人。◎宗教−大部分がキリスト教。◎言語−トンガ語,英語(以上公用語)。◎通貨−パアンガPa'anga(オーストラリア・ドルと等価)。◎元首−国王,トゥポウ6世 Tupou VI(1959年生れ,2012年3月即位)。◎首相−ポヒバSamiuela 'Akilisi Pohiva(2014年12月就任)。◎憲法−1875年制定。◎国会−一院制(定員38,うち一般選出議員17,任期3年)。最近の選挙は2014年11月。◎GDP−3億ドル(2008)。◎1人当りGNI−2170ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−37%(1990)。◎平均寿命−男69.8歳,女75.7歳(2013)。◎乳児死亡率−13‰(2010)。◎識字率−99.0%(2006)。    *    *南西太平洋の島群よりなる王国。トンガ諸島(フレンドリー諸島)は,フィジー諸島南東方,南北に分布する約150の火山島とサンゴ島からなる諸島。主島はトンガタプ島で,同島北岸のヌクアロファが首都。住民のトンガ人はポリネシア人。気候は温和。農業が主で,コプラ,バナナを産する。 トンガがトゥイ・トンガ王によって統一されたのは10世紀半ばと推定されている。19世紀前半3王家間の内戦状態にあったが,キリスト教に改宗したトゥポウ1世が教会の助けも借りて1845年に全諸島を統一し,1875年憲法を制定した。1900年英国と友好条約を結んでその保護国となり,1970年6月独立。1999年9月,国連に加盟した。2006年9月,40年間君臨したトゥポウ4世が死去し,トゥポウトア皇太子がトゥポウ5世として即位。2012年トゥポウ5世の死去により,トゥポウ5世の弟トゥポウ6世が即位した。
→関連項目トンガタプ[島]ポリネシア

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トンガ」の意味・わかりやすい解説

トンガ
Tonga

正式名称 トンガ王国 Kingdom of Tonga。
面積 748km2
人口 9万8200(2021推計)。
首都 トンガタプ島のヌクアロファ

南太平洋,トンガ諸島からなる国。フィジーの東方,サモア諸島の南方に位置。北部のババウ島,中部のハアパイ島,南部のトンガタプ島の3島と,ババウ諸島北方の孤島ニウアフォー島,ニウアトプタプ島など計 169の火山島,サンゴ島からなる。南方から北北東にかけてトンガ海溝が走る。 10世紀にはトゥイ・トンガ家の統治する王国が成立し,1616年オランダ人がトンガ諸島北部の島々に来航してからヨーロッパとの接触が始まった。 1862年ジョージ・ツポウ1世により立憲君主制が確立され,キリスト教に改宗した。 1900年イギリスの保護領となり,1970年独立,イギリス連邦に加盟した。農業国で,熱帯作物を栽培。主要輸出品はコプラやバナナなど果実・野菜類。住民の大部分を占めるトンガ人はポリネシア系で,体型,言語ともサモア諸島民に近い。公用語はトンガ語と英語。西欧の文化を多く取り入れているが,トンガ社会では血縁,身分を重視する伝統が生きている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「トンガ」の解説

トンガ
Tonga

南太平洋,ポリネシアフィジーの南東に位置する王国。トンガタプ諸島など150以上の小島からなる。1616年に初めてヨーロッパ人が来航。18世紀末から19世紀半ばにかけて首長間の内戦が続いたが,1845年頃トゥポウ1世が国内を統一した。彼は当時としては珍しくキリスト教に改宗し,75年に立憲君主制をしいた。1900年5月にイギリスの保護領となり,70年,イギリスとの条約を改正して外交権を回復し,イギリス連邦の一員として独立した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android