日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドレスデン絵画館」の意味・わかりやすい解説
ドレスデン絵画館
どれすでんかいがかん
Gemäldegalerie Alte Meister, Dresden
ドイツにおけるヨーロッパ絵画のコレクションを代表する美術館。磁器収集館、版画素描展示室、近代絵画等を展示するアルベルティーヌムなど九つの部門に分かれている国立ドレスデン美術館の一部門を成している。ザクセン選帝侯国の首都であったドレスデンの、バロック建築の精華を伝えるツビンガー宮殿内にある。1560年に選帝侯アウグスト(1526―86)によって創成されて以来拡張を続けた侯国のコレクションのうち、14世紀から18世紀までの絵画を展示する。絵画館の創設は、自身も積極的に収集を行った大公フリードリヒ・アウグスト(通称「強健王」、ポーランド王としてはアウグスト2世。1670―1733)の所有する絵画の総目録が作成された1722年とされる。その息子アウグスト2世(ポーランド王としては3世。1696―1763)も、ベルサイユ宮廷を見本にしながら各地に代理人を派遣して収集を行い、こうしてコレクションの中核は親子二代にわたって形成されることとなった。その後、1831年ザクセンが立憲君主制に移行した際にザクセンの国立美術館となった。55年にはゴットフリート・ゼンパーの設計によって、イタリア盛期ルネサンスの宮殿様式にならった絵画館が完成した。
絵画館には、ラファエッロ・サンティ後期の大作『サン・シストの聖母』、ジョルジョーネの『眠れるビーナス』、レンブラント・ファン・レインの『放蕩(ほうとう)息子の酒宴』、ヤン・フェルメールの『手紙を読む女』、ニコラ・プサンの『横たわるビーナスとキューピッド』などイタリアの盛期ルネサンスやイタリアおよびフランドルのバロック期の傑作が多い。また、ファン・アイクの三幅対祭壇画やピントリッキョの『少年の像』など初期ルネサンスの佳品や、アルブレヒト・デューラーの『ドレスデン祭壇画』やルーカス・クラナハの『エデンの園』など、ドイツ美術の精髄も少なくない。しかし第二次世界大戦期の戦火によって、美術館は建物、作品ともに甚大な被害を受けた。作品は四十数か所へ疎開する処置がとられたが、移動中に空襲を受け、ギュスターブ・クールベの『石割り人夫』をはじめ相当数の作品が焼失、散逸した。1945年の第二次世界大戦末期にソ連軍がドレスデンに侵攻した際、炭坑などに疎開させられていた作品が探り出され、モスクワなどの美術館に移動、保管された。そして損傷の修復を施したのち、1955年と58年の2回にわたって全作品が返還された。建物の修復も、コレクションの400年記念を迎えた1960年にはほとんど完了した。
[保坂健二朗]
『マンフレート・バハマン著、千足伸行訳『ドレスデン美術館』(1985・講談社)』▽『『ラミューズ37――世界の名画と美術館を楽しむ ドレスデン美術館』(1993・講談社)』▽『『週刊世界の美術館49 ドレスデン美術館』(2001・講談社)』