ドーバー(英語表記)Dover

翻訳|Dover

デジタル大辞泉 「ドーバー」の意味・読み・例文・類語

ドーバー(Dover)

英国イングランド南東部の港湾都市ドーバー海峡の最狭部に臨む。ヨーロッパ大陸への連絡港。海岸にはドーバーチョークとよばれる白亜紀白い崖が続く。
米国デラウェア州中央部の都市。同州の州都。1638年、クエーカー教徒のウィリアム=ペンによって建設され、1777年に同国初の州都となった。「ザグリーン」とよばれる歴史地区には、植民地時代の古い建物が多く残っている。

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精選版 日本国語大辞典 「ドーバー」の意味・読み・例文・類語

ドーバー

  1. ( Dover ) イギリスの南東部、ドーバー海峡に面する港湾都市。

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改訂新版 世界大百科事典 「ドーバー」の意味・わかりやすい解説

ドーバー
Dover

イギリス,イングランド南東部,ケント州東岸にある港湾都市。地名は古ケルト語で〈流水〉を意味するドゥブラに由来し,ローマ時代の呼称はドゥブリスDubris。人口10万6000(1993)。ドーバー海峡に臨み,イギリスとヨーロッパ大陸との最近接点にあたるため,古来大陸との連絡港として栄えてきた。現在もカレーダンケルク,ブーローニュ・シュル・メールおよびオーステンデとの間にフェリーやホバークラフトが就航し,また海岸保養地としても知られる。紀元前55年にカエサルの上陸地点となって注目され,ローマ時代にはウォトリング街道の起点ともなった。サクソン時代に要塞化され,11世紀にはイギリス南部海岸の特権港湾,〈五港市〉の中心に成長した。その後も王政復古ではチャールズ2世の上陸,第1次世界大戦では海軍基地と歴史上の重要な舞台となった。市街地はドゥア川河口を中心に広がり,その両端には有名な〈ドーバーの白崖〉が迫っている。市内東部の標高114mの丘陵上にドーバー城があり,ローマ時代の灯台やノルマン風の本丸,セント・メアリー教会などを有する。このほか市内には,13世紀の巡礼者用宿舎メゾン・デュー・ホールや,《リア王》と関連したシェークスピアの崖など,名所が多い。港湾は東港と西港に分かれ,前者は古くからの商港,後者はかつての軍港で現在は商港の一部となっている。1822年発見のケント炭田採掘も行われている。
ドーバー海峡
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ドーバー
Dover

アメリカ合衆国デラウェア州中央部の同州の州都。人口3万2135(2000)。セント・ジョーンズ川に面し,植民地時代の建物や史跡が残る。農業地域の中に位置し,果物・野菜缶詰の食品加工業がある。航空貨物輸送を担当するドーバー空軍基地が市の経済の大きな部分を占めている。1683年にW.ペンによって建設され,1777年に州都となった。1929年に市制施行。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドーバー」の意味・わかりやすい解説

ドーバー
Dover

イギリスイングランド南東端部,ケント県東部の都市。周辺を含めてドーバー地区を構成する。ロンドンの東南東約 110km,ドーバー海峡に面する港湾都市。市街地はドーバー海峡にそそり立つ白亜海食崖をドゥア川が開析した谷間に立地。前55年カエサルがイギリス侵入の最初の拠点としてこの地を選んだ。4世紀にはサクソン人ザクセン人)が要塞を建設。その後ウィリアム1世の時代までにイギリスの主要都市の一つに発展し,11世紀以降シンク・ポーツ(五港連盟)の一つとして繁栄。さらに,ヨーロッパ大陸に最も近い地点に位置していたため,イギリスの発展に伴って,港は大陸と結ぶ主要連絡港として発展,20世紀前半には最盛期を迎えた。今日でも取扱旅客数ではイギリス最大の港で,フランスカレーダンケルクと結ぶ海峡横断フェリーが頻繁に発着している。19世紀以降,海浜保養地としても発展し,また軽工業も立地する。ローマ時代の灯台が現存する。快晴日には市の背後の丘陵上にある城から対岸のフランスが眺望できる。地区面積 312km2。地区人口 10万4490(2001)。都市人口 3万4087(2001)。

ドーバー
Dover

アメリカ合衆国,デラウェア州の州都。州のほぼ中央部,ドーバー川沿いに位置する。 W.ペンがケント郡の裁判所と監獄設置の目的で建設。周辺の農業地帯を後背地とした商業の中心地で,大きな缶詰会社がある。第2次世界大戦中は航空基地がおかれ,戦後航空貨物ターミナルに転換されている。デラウェア州立博物館がある。人口2万 7630 (1990) 。

ドーバー
Dover

アメリカ合衆国,ニューハンプシャー州南東部,ボストンの北約 100kmの都市。初期の造船業は衰えて,現在は繊維,皮革,木材,化学,機械工業が盛んである。人口2万 5042 (1990) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドーバー」の意味・わかりやすい解説

ドーバー(イギリス)
どーばー
Dover

イギリス、イングランド南東端、ケント県の港湾都市。人口10万4490(2001)。ドーバー海峡の最狭部に臨み、ローマ時代から大陸との交通上、また戦略上重要な港町であった。対岸にあるフランスの港湾都市カレーとの間は約34キロメートルにすぎず、連絡船が就航。ほかにフランスのダンケルク、ブローニュ・シュル・メール、ベルギーのオーステンデとの間にも連絡船があり、大陸からの玄関口の役割を果たしている。港は商港であるとともに軍港機能をあわせもつ。また、付近のフォークストンから英仏海峡トンネル(ユーロトンネル)がフランスに通じている。白亜紀の海食崖(がい)の上に12世紀築造のドーバー城があり、町は海浜保養地、観光都市ともなっている。

[久保田武]

歴史

この地にはローマ人の侵入以前に人が住んでいたといわれるが、ローマの属領時代にはドゥブリスDubrisの名でブリテン島と大陸の間の交通の要衝として認められ、ゲルマン民族の移動に備えて砦(とりで)がつくられた。11世紀のノルマン人の征服に際して、ドーバーはサクソン時代よりすでに自治邑(ゆう)であったと主張したため、ウィリアム1世は海岸防衛の義務と引き換えに、独立の司法権を認めた。以後ドーバー城の整備も進み、1278年にはイングランド南東部の特別港たる「シンク・ポーツcinque ports(五港)」の一つとして、ヘースティングズ、ハイズ、ラムニーとともに自治の特許状を授けられた。その後も大陸への出入口として主要な地位を占め続けたが、15世紀になると海上防衛の拠点としての独占的な地位は失われた。第二次世界大戦中には砲撃、爆撃を被り、市街は被害を受けた。

[今井 宏]


ドーバー(アメリカ合衆国)
どーばー
Dover

アメリカ合衆国、デラウェア州中央部にある都市で、同州の州都。人口3万2135(2000)。セント・ジョーンズ川沿岸に位置する。養鶏、野菜、果物地域が周囲にあり、その取引中心地として発展した。主要工業は果物、野菜缶詰などの食品加工業である。1683年、ウィリアム・ペンによって町が建設され、1777年に州都となった。1929年に市制施行。植民地時代の古い建物や史跡の残る美しい都市である。

[菅野峰明]

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百科事典マイペディア 「ドーバー」の意味・わかりやすい解説

ドーバー

英国,イングランド南東部,ドーバー海峡に臨み大陸に最も近い港町。古来大陸との交通の要地で,対岸のフランスのカレー,ベルギーのオステンデとの間に連絡船が通じる。旅客数では英国最大の港。市街,港はチョーク層の開析された谷に立地し,白い崖として有名。海岸保養地でもあり,中世のドーバー城がある。3万4000人(2001)。
→関連項目オーステンデ

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