翻訳|Dover
イギリス,イングランド南東部,ケント州東岸にある港湾都市。地名は古ケルト語で〈流水〉を意味するドゥブラに由来し,ローマ時代の呼称はドゥブリスDubris。人口10万6000(1993)。ドーバー海峡に臨み,イギリスとヨーロッパ大陸との最近接点にあたるため,古来大陸との連絡港として栄えてきた。現在もカレー,ダンケルク,ブーローニュ・シュル・メールおよびオーステンデとの間にフェリーやホバークラフトが就航し,また海岸保養地としても知られる。紀元前55年にカエサルの上陸地点となって注目され,ローマ時代にはウォトリング街道の起点ともなった。サクソン時代に要塞化され,11世紀にはイギリス南部海岸の特権港湾,〈五港市〉の中心に成長した。その後も王政復古ではチャールズ2世の上陸,第1次世界大戦では海軍基地と歴史上の重要な舞台となった。市街地はドゥア川河口を中心に広がり,その両端には有名な〈ドーバーの白崖〉が迫っている。市内東部の標高114mの丘陵上にドーバー城があり,ローマ時代の灯台やノルマン風の本丸,セント・メアリー教会などを有する。このほか市内には,13世紀の巡礼者用宿舎メゾン・デュー・ホールや,《リア王》と関連したシェークスピアの崖など,名所が多い。港湾は東港と西港に分かれ,前者は古くからの商港,後者はかつての軍港で現在は商港の一部となっている。1822年発見のケント炭田の採掘も行われている。
→ドーバー海峡
執筆者:長谷川 孝治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
イギリス、イングランド南東端、ケント県の港湾都市。人口10万4490(2001)。ドーバー海峡の最狭部に臨み、ローマ時代から大陸との交通上、また戦略上重要な港町であった。対岸にあるフランスの港湾都市カレーとの間は約34キロメートルにすぎず、連絡船が就航。ほかにフランスのダンケルク、ブローニュ・シュル・メール、ベルギーのオーステンデとの間にも連絡船があり、大陸からの玄関口の役割を果たしている。港は商港であるとともに軍港機能をあわせもつ。また、付近のフォークストンから英仏海峡トンネル(ユーロトンネル)がフランスに通じている。白亜紀の海食崖(がい)の上に12世紀築造のドーバー城があり、町は海浜保養地、観光都市ともなっている。
[久保田武]
この地にはローマ人の侵入以前に人が住んでいたといわれるが、ローマの属領時代にはドゥブリスDubrisの名でブリテン島と大陸の間の交通の要衝として認められ、ゲルマン民族の移動に備えて砦(とりで)がつくられた。11世紀のノルマン人の征服に際して、ドーバーはサクソン時代よりすでに自治邑(ゆう)であったと主張したため、ウィリアム1世は海岸防衛の義務と引き換えに、独立の司法権を認めた。以後ドーバー城の整備も進み、1278年にはイングランド南東部の特別港たる「シンク・ポーツcinque ports(五港)」の一つとして、ヘースティングズ、ハイズ、ラムニーとともに自治の特許状を授けられた。その後も大陸への出入口として主要な地位を占め続けたが、15世紀になると海上防衛の拠点としての独占的な地位は失われた。第二次世界大戦中には砲撃、爆撃を被り、市街は被害を受けた。
[今井 宏]
アメリカ合衆国、デラウェア州中央部にある都市で、同州の州都。人口3万2135(2000)。セント・ジョーンズ川沿岸に位置する。養鶏、野菜、果物地域が周囲にあり、その取引中心地として発展した。主要工業は果物、野菜缶詰などの食品加工業である。1683年、ウィリアム・ペンによって町が建設され、1777年に州都となった。1929年に市制施行。植民地時代の古い建物や史跡の残る美しい都市である。
[菅野峰明]
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