改訂新版 世界大百科事典 「ナポリ派」の意味・わかりやすい解説
ナポリ派 (ナポリは)
イタリアのナポリを中心として近世に展開された画派。ナポリにおける美術活動が一つの派と呼びうるほどの隆盛を見たのはバロック時代においてであり,ナポリ派とは17世紀に同地で活動した画家を総称していう場合が多い。ナポリは17世紀にはスペイン出身の副王が治めており,国際的な交流の場であった。1607年および10年にカラバッジョが滞在したことが,当地の芸術家にとって大きな刺激となり,彼の影響下に,カラッチョロGiovanni Battista Caracciolo(通称バッティステロBattistello。1570ころ-1637),スタンツィオーネMassimo Stanzione(1585-1656)などの深刻でリアリスティックな宗教画家が出た。とくにこの地はスペイン的な熱狂的信仰の地であったが,16年以降この地に住んだスペイン画家リベラは,カラバッジョ風でもあり,スペイン風でもある真摯な宗教表現を完成して,ナポリ派およびスペイン本国に大きな影響を及ぼした。またローマのバンボッチアンティのナポリ分派としてファルコネAniello Falcone(1607-56),ついでカバリーノBernardo Cavallino(1616-56)は,ベネチア派にも比すべきデリケートな色彩と光の叙情的表現にすぐれ,さらにシチリアやジェノバを通じて伝わったルーベンス派のファン・デイクの色彩の影響を受けてノベリPietro Giovanni Novelli(1603-47),フラカンツァーノFrancesco Fracanzano(1612-56)などが絵画的才能を発揮した。ナポリの生んだ最大のバロック画家はジョルダーノである。彼は末期バロックの超絶技巧をスペイン宮廷にもたらした。
さらにナポリは,風景画,静物画の各ジャンルにおいて,18,19世紀を先駆する画家と作品を生み出した。すなわち,マニエリストの舞台背景から示唆を得たミッコ・スパダーロMicco Spadaro(本名ガルジュロDomenico Gargiulo。1612-75),ロマン主義的風景画の端緒を開いたローザらが出,またメッス出身であるが,ナポリで活躍したモンスー・デジデリオMonsù Desiderioという名を共同で名のった2人の画家,ノメFrançois Didier Nomé(1588-?)およびバラDidier Barra(1590-?)は廃墟の専門画家であった。他方,静物画では,ポルポーラPaolo Porpora(1617ころ-73)はカラバッジョとオランダ絵画の影響が強く,フォルテLuca Forte(生没年不詳),ルオッポロ兄弟Giovanni Battista Ruòppolo(1629-93),Giuseppe R.(生没年不詳)は花,果実を得意とし,レッコGiuseppe Recco(1634-95)は魚を好んで描いた。色彩と質感にすぐれた静物画は,フランスのシャルダンを先駆している。
執筆者:若桑 みどり
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報