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ニカイア公会議 ニカイアこうかいぎCouncils of Nicaea

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ニカイア公会議
ニカイアこうかいぎ
Councils of Nicaea

ビチュニアのニカイアで開催された2回の公会議。 (1) 第1回  325年皇帝コンスタンチヌス1世が 220人余の司教を各地から集めて開いた第1回公会議。教皇シルウェステル1世は代理を派遣した。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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大辞林 第三版の解説

ニカイアこうかいぎ【ニカイア公会議】

325年にニカイアで開かれたキリスト教最初の世界会議(第一回ニカイア公会議)。アリウス派を異端とし、ニカイア信条を採択。コンスタンチヌス皇帝自らが会議を召集したため、のちに皇帝権力の教会への介入を招く端緒となった。
787年にニカイアで開かれた第七回ニカイア公会議。聖画像破壊主義者の異端を処罰し、その結果聖堂内に聖画像が復活した。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ニカイア公会議
にかいあこうかいぎ

小アジアのニカイアNicaea(現イスニク)で開かれた二度のキリスト教会の総会議。ニケーア公会議ともいう。[秀村欣二]

第1回

325年コンスタンティヌス1世(大帝)によって招集され、アリウス論争を処理するために開かれた。参会者は318名とするのが通説だがつまびらかでない。議事は三派に分けて進められた。左翼はアリウス派で、アリウスは長老で司教でないため投票権がなく、テオナス、セクンドゥスの2人のエジプト人の司教などが代表者となった。右翼は正統的伝統派で、アレクサンドリアの司教アレクサンドロスが代表し、その輩下に若い執事アタナシウスがおり、強烈にアリウス派に反対した。中間派は多数だが、主体的立場は少なかった。この公会議においてニカイア信条が制定され、キリストを父なる神と同質(ホモウシオス)とする語が挿入され、子は無から生じ、存しなかったときがあるとするアリウス説が退けられ、この信条への署名を拒否したテオナスとセクンドゥスはアリウスとともに追放された。なおこの公会議で、復活祭の日を春分の次の満月の後の最初の日曜日とすることが定められた。[秀村欣二]

第2回

東西両教会が認めた最後(第7回)の公会議で、画像論争を決着させるため、787年に開かれた。この会議で、キリストの画像だけでなく、マリア、天使、聖人の画像をも是認、画像を崇(あが)めるのは像を通してその原像を崇めるものとして画像礼拝が回復され、画像破壊論者は異端とみなされた。[秀村欣二]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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