南西太平洋,パプア・ニューギニア領の島。ニューギニア島の東方に浮かぶビズマーク諸島中最大の島。三日月形をしており,長さ約600km,最大幅約80km,面積約3万7700km2。人口40万(2000)。険しい山々が連なり,多くの火山がある。気候は熱帯性で雨も多い。1700年にW.ダンピアにより西欧に紹介され,ドイツの保護領を経て第1次大戦後オーストラリアの委任統治領となった。第2次大戦中は一時日本軍に占領され,日本軍とアメリカ・オーストラリア連合軍との戦場となった。戦後はオーストラリアの信託統治領を経て,1975年独立したパプア・ニューギニアに属し,島の東部は東ニューブリテン州(州都ラバウル),西部は西ニューブリテン州(州都キンベ)を構成している。第2次大戦中,日本軍の前進基地であったラバウルは,良港としても有名で,南太平洋の交通で重要な役割を演じている。このラバウルの位置する島の北東部のガゼレ半島には,パプア・ニューギニア国内でも屈指のココヤシのプランテーションがある。そのためラバウルとキンベ近郊には,それぞれ大規模なコプラ粉砕所,ヤシ油加工工場があり,パプア・ニューギニアの輸出産業に貢献している。島の東部はココアの重要な生産地でもある。
島民はメラネシア系で,都市部に住む人々を除けば,主としてタロイモ,バナナなどの農耕に従事している。彼らが西欧と接触する以前にもっていた独自な文化のなかでは,ドゥク・ドゥクやインギエットと呼ばれる秘密結社が有名である。これは男子だけの結社で,妖怪の衣装を身にまとった結社のメンバーが,加入希望者たちをむちで打って恐怖を与えたのち,衣装を脱いで自分が人間であることを教える,といったユニークな儀礼を伴っている。この儀礼を経た者が結社のメンバーとなり,結社の種々の秘密を共有するのであるが,こういった制度も,キリスト教,貨幣経済の浸透した今日では姿を消している。
執筆者:吉岡 政徳
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
パプア・ニューギニア北東部、ビスマーク諸島中最大の島。面積3万6500平方キロメートル、人口40万4641(2000)。行政的には東ニュー・ブリテンおよび西ニュー・ブリテンの2州に分かれる。行政中心地はそれぞれラバウルおよびキンベKimbe(人口1万4656、2000)。東西約600キロメートルにやや弓なりに延びる島で、北岸に活火山が連なり、地震も多い。最高峰ウラウンUlawun山(別名ファーザー山。2290メートル)も活火山。年降水量は北東部を除く大部分で3000ミリメートルを超え、とくに南岸では5000ミリメートルを超える。
同国屈指の森林資源をもち、木材生産量は全国の3分の1以上に達し、日本などに輸出される。沿岸一帯は農業に利用されるが、とくに北東部のガゼル半島地区に農業生産が集中し、生産だけでなく、流通面にもパプア・ニューギニア人の進出が著しい。伝統的作物の中心はタロイモで、北東部ではこれにココヤシやバナナが加わる。主要商品作物はココアとココヤシで、ココアおよびコプラの生産量はともに全国の3分の1余りを占める。1972年から、中部で政府主導プロジェクトによるアブラヤシ栽培が始まった。
1700年、イギリス人ダンピアが、ニューギニア島と別個の島であることを確認して命名した。1767年、イギリス人カートレットが、ニュー・アイルランド島との間の海峡を確認した。1884年から第一次世界大戦まではドイツ領で、その間はノイ・ポンメルンNeu-Pommernとよばれた。第二次世界大戦中の1942年(昭和17)日本軍が占領、ラバウルに海軍の基地が置かれた。ドイツ領になって以来、プランテーション経営の歴史をもつ。
[谷内 達]
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