ノスケ(読み)のすけ(英語表記)Gustav Noske

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ノスケ」の意味・わかりやすい解説

ノスケ
のすけ
Gustav Noske
(1868―1946)

ドイツ社会民主党の政治家。織物職人の子として生まれ、1883年以降、社会民主党系の新聞の編集に携わる。1906年に帝国議会議員となり、陸海軍植民地問題の専門家として注目された。第一次世界大戦では積極的に戦争に協力、1918年11月、政府から派遣されてキール反乱収拾、12月末には人民代表評議会で軍事を担当、1919年1月のスパルタクス団蜂起(ほうき)を鎮圧した。2月以降、国防相として軍の再編推進、左翼急進派を徹底的に弾圧した。1920年3月、カップ一揆(いっき)後、辞職してハノーバー州長官となったが、1933年ナチスによって解任され、1944年にはヒトラー暗殺計画との関連で逮捕された。

[松 俊夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ノスケ」の意味・わかりやすい解説

ノスケ
Gustav Noske
生没年:1868-1946

ドイツの政治家。社会民主党員。組合活動,党ジャーナリストを経て1906年国会議員となり,軍事・植民地問題を専門とする。18年11月ドイツ革命発端となったキール水兵反乱を収拾。12月人民委員となり,19年のスパルタクス団の〈一月蜂起〉をはじめ左派の運動を鎮圧,共和国発足とともに国防相に就き,国防軍の建設を推進。20年3月のカップ一揆で党内の批判を浴び辞職。その後33年までハノーファー州知事
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ノスケ」の意味・わかりやすい解説

ノスケ
Noske, Gustav

[生]1868.7.9. ブランデンブルク
[没]1946.11.30. ハノーバー
ドイツの政治家。ドイツ社会民主党の右派に属し,1893~1918年党の地方新聞の編集者。 06~18年国会議員。 18年 11月バーデン公マックス内閣からキール軍港に派遣され,革命の収拾にあたった。 19年1月のスパルタクス団の蜂起の際義勇軍に依頼し,これを鎮圧するなど,各地の左翼革命グループを制圧ワイマール共和国の成立に伴い初代国防相に就任,国防軍の再建に努めたが,20年3月カップ一揆の責任をとらされて辞任。 33年までハノーバー総督をつとめたが,ナチスによって職を追われた。 44年7月反ヒトラー・クーデター (七月二十日事件 ) に参画し,逮捕された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ノスケ」の解説

ノスケ
Gustav Noske

1868~1946

ドイツの政治家。労働者の家に生まれ,社会民主党機関紙の編集者となり,1906年以来国会議員。ドイツ革命の際にはキールの水兵の反乱収拾に成功し,革命政府に加わった。また,ベルリン軍司令官となり,19年1月,スパルタクスの反乱を義勇軍(フライコール)を用いて激しく弾圧した。さらに国防相として新軍の創設に努力したが,カップ一揆ののち辞職し,ハノーヴァーの知事となった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ノスケ」の解説

ノスケ
Gustav Noske

1868〜1946
ドイツの政治家
ドイツ社会民主党右派の指導者。ドイツ革命に際してはキールの反乱を懐柔し,ついでスパルタクス団の蜂起をはじめ,左翼弾圧につとめた。ヴァイマル共和国が成立すると,国防相として軍部の再建にあたったが,カップ一揆の責任を問われて辞職。第二次世界大戦中,ナチスにより逮捕された。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

367日誕生日大事典 「ノスケ」の解説

ノスケ

生年月日:1868年7月9日
ドイツの政治家
1946年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android