ハマーショルド(読み)はまーしょるど(その他表記)Dag Hjalmar Agne Carl Hammarskjöld

デジタル大辞泉 「ハマーショルド」の意味・読み・例文・類語

ハマーショルド(Dag Hjalmar Agne Carl Hammarskjöld)

[1905~1961]スウェーデン政治家・経済学者。1953年に第2代国連事務総長になり、スエズ戦争など国際紛争解決のために活躍。コンゴ紛争の解決に赴く途中、飛行機事故で死亡死後ノーベル平和賞受賞。

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精選版 日本国語大辞典 「ハマーショルド」の意味・読み・例文・類語

ハマーショルド

  1. ( Dag Hammarskjöld ダグ━ ) スウェーデンの政治家、経済学者。一九五三年以来国連事務総長として、朝鮮戦争ハンガリー動乱、中近東危機の解決に尽力コンゴ動乱調停活動中、飛行機事故で死去。一九六一年ノーベル平和賞受賞。(一九〇五‐六一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハマーショルド」の意味・わかりやすい解説

ハマーショルド(Dag Hjalmar Agne Carl Hammarskjöld)
はまーしょるど
Dag Hjalmar Agne Carl Hammarskjöld
(1905―1961)

スウェーデンの政治家。首相を務めたヤルマル・ハマーショルドの四男。ウプサラ大学で経済学を専攻し、1933年ストックホルム大学の政治経済学助教授。1936年財務次官、国立銀行総裁。1946年外務省に入り世界経済・金融問題を担当、1949年外務次官、1951年外交担当無任所相。1953年米ソ両陣営の支持を得て、T・リーの後を継ぎ国際連合の2代目事務総長に就任。1956~1957年スエズ戦争解決のためしばしば中東に赴く。1960年コンゴ(のちザイールとなり、現在はコンゴ民主共和国)で紛争が発生すると、ただちに国連軍派遣、1961年自身も現地を訪れ解決のために奔走中、9月17日北ローデシア(現、ザンビア)で不審な航空機事故のため死亡した。翌月1961年ノーベル平和賞を追贈される。

[本間晴樹 2018年9月19日]

『ハマーショルド著、鵜飼信威訳『道しるべ』新装版(1999・みすず書房)』


ハマーショルド(Knut Hjalmar Leonard Hammarskjöld)
はまーしょるど
Knut Hjalmar Leonard Hammarskjöld
(1862―1953)

スウェーデンの法学者、政治家。1891年ウプサラ大学法学部教授。1901~1902年法相、1905年8~11月文相。国際法の権威としてしばしば国際会議に出席、1909年独仏間、1913年仏伊間の紛争を調停。1914年首相。第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)後は中立維持に努力、しかし経済政策に失敗し1917年辞任。1924~1938年国際法学会会長。1929~1947年ノーベル財団理事長。

[本間晴樹]

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改訂新版 世界大百科事典 「ハマーショルド」の意味・わかりやすい解説

ハマーショルド
Dag Hjalmar Agne Carl Hammarskjöld
生没年:1905-61

スウェーデンの政治家,経済学者で2代目の国際連合事務総長。ウプサラ大学を卒業。1933年ストックホルム大学経済学教授となる。その後,国際問題に明るいのを評価されて49年外務次官となる。53年4月10日米ソ両陣営の支持を得て,T.H.リー初代国連事務総長の後任として選ばれ,57年に再選。1956年のスエズ動乱のさい国連緊急軍の編成,派遣にあたり政治的手腕を発揮した。60年のコンゴ戦争にさいして,国連の平和維持活動を指揮し現地に赴いたが,北ローデシアで飛行機事故のため殉職。死後,61年度ノーベル平和賞が授与された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハマーショルド」の意味・わかりやすい解説

ハマーショルド
Hammarskjöld, Dag (Hjalmar Agne Carl)

[生]1905.7.29. ウプサラ,ヨンケピン
[没]1961.9.18. ザンビア,エンドラ近郊
スウェーデンの政治家。ウプサラ,ストックホルム両大学に学び,1936~45年財務省事務次官。この間,スウェーデン国立銀行総裁もつとめた。 46年外務省に移り,47年外務次官となり,経済外交の専門家として活躍。 48年ヨーロッパ経済協力機構 OEECのスウェーデン代表,51年スウェーデンの国連代表団副団長,52年団長に任命された。 53年4月第2代国連事務総長に就任。国連事務局の改革,士気の高揚に専念した。 56~57年のスエズ紛争に際し国連緊急軍の創設に努力,57年9月事務総長再任。 60年のコンゴ紛争では,国連加盟国間の意見の分裂に苦悩しながらも内戦処理に尽力,その最中,北ローデシア (現ザンビア) の山林で飛行機事故により死亡した。 61年死後ノーベル平和賞が贈られた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ハマーショルド」の解説

ハマーショルド
Dag Hammarskjöld

1905~61

スウェーデンの政治家,法学者,経済学者。国立銀行,外務省をへて,国連事務総長(在任1953~61)。スエズ戦争(56年),イラクにおけるクーデタ(58年)に伴う中近東危機などの解決に努力,60年にコンゴ動乱が起こると国連軍派兵を含む積極的な調停活動に乗り出し現地に向かった際,飛行機事故死した。

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百科事典マイペディア 「ハマーショルド」の意味・わかりやすい解説

ハマーショルド

スウェーデンの政治家,法学者,経済学者。国立銀行総裁,外務次官を経て1953年国連事務総長。スエズ動乱,中東危機の解決に努力した。コンゴ動乱に際し現地に向かう途中の飛行機事故で死亡。死後,1961年ノーベル平和賞。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ハマーショルド」の解説

ハマーショルド
Dag Hammarskjöld

1905〜61
スウェーデンの政治家
ストックホルム大学教授・大蔵次官をへて外務省にはいり,外相となった。1953年国連事務総長に就任し,多くの国際紛争処理に努力したが,1961年コンゴ動乱解決のため現地に赴く途中,飛行機事故で死亡した。1961年度ノーベル平和賞を受賞。

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