ハルノート(英語表記)Hull Note

デジタル大辞泉 「ハルノート」の意味・読み・例文・類語

ハル‐ノート(Hull-Note)

1941年11月、太平洋戦争直前の日米交渉の際に米国国務長官ハルが提示した覚書日本軍の中国および仏領インドシナからの全面撤兵要求蒋介石政権以外の政権の承諾拒否などを内容とするもので、事実上最後通牒とみなされ、日本に開戦を決意させた。

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精選版 日本国語大辞典 「ハルノート」の意味・読み・例文・類語

ハル‐ノート

  1. ( Hull Note ) 太平洋戦争直前の昭和一六年(一九四一)一一月、日米交渉の際にアメリカの国務長官ハルが提示した覚書。日本軍の中国および仏領インドシナからの全面撤兵要求、蒋介石の中華民国国民政府以外の中国における政府、政権の否認などを主張。日本側は事実上の最後通牒とみなし、開戦を決意した。

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改訂新版 世界大百科事典 「ハルノート」の意味・わかりやすい解説

ハル・ノート
Hull Note

日米交渉の最終段階におけるアメリカ側の提案。1941年11月20日日本側が提出した対米交渉要領乙案にたいする回答として,11月26日にC.ハル国務長官が提示した。おもな内容は,いっさいの国家の領土と主権不可侵内政不干渉,通商上の機会の平等,国際紛争の平和的解決の4原則のほか,日本,アメリカ,イギリス,中国,オランダ,タイ,ソビエトの間の多辺的不可侵条約の締結,中国とインドシナからの日本の軍隊と警察力の全面撤退,重慶にある中華民国国民政府以外の政府もしくは政権の否認,日独伊三国同盟の否認などであった。東条英機内閣と軍部は,ハル・ノートを対日最後通牒とみなし,12月1日の御前会議で12月8日の太平洋戦争開戦を最終的に決定した。
日米交渉
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハルノート」の意味・わかりやすい解説

ハル・ノート
はるのーと
Hull-Note

太平洋戦争直前の日米交渉末期、アメリカ国務長官ハルC. Hullにより日本側に手交されたアメリカ側対案。1941年(昭和16)11月20日の日本の野村吉三郎(きちさぶろう)大使による打開案に対する回答として26日(日本時間27日)提示された。内容は、日本の中国および仏領インドシナからの全面撤兵、重慶(じゅうけい)を首都とする国民党政府以外のいかなる政権をも認めないことなど、きわめて非妥協的な要求をもつ対日要求であり、この文書の提出によって、日米交渉は事実上終止符を打たれた。日本側はハル・ノートをアメリカの最後通告とみなし、12月1日の御前会議では、日米交渉の挫折(ざせつ)を理由に対米英蘭(らん)開戦を決定した。

[荒井信一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハルノート」の意味・わかりやすい解説

ハル・ノート
Hull Note

1941年 11月 26日アメリカ国務長官 C.ハルが日本の野村,来栖両大使に手交した提案。太平洋戦争開戦直前に行われた日米交渉の最終段階でアメリカ側から提示されたもの。すべての国家の領土保全と主権の不可侵を原則として,日本の一切の陸海空軍兵力を中国,インドシナから撤収すること,チョンチン (重慶) の国民政府以外の中国におけるいかなる政府,政権も支持しないこと,日本,アメリカ,イギリス,オランダ,中国,ソ連,タイの7ヵ国の多辺的不可侵条約の締結,実質的に日独伊三国同盟を廃棄することなどを要求している。日本政府はこれを対日最後通牒とみなし,同 12月1日の御前会議はこれを受諾しがたいという結論を下し,アメリカ,イギリス,オランダに対する開戦を決定した。

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百科事典マイペディア 「ハルノート」の意味・わかりやすい解説

ハル・ノート

1941年11月26日,日米交渉最終段階における米国国務長官C.ハルの提案した文書。内容は太平洋周辺地域各国の不可侵条約締結,中国・仏印からの日本軍撤退,在重慶国民政府以外の中国政府の否認など。東条英機内閣はこれを最後通牒(つうちょう)とみて,12月1日の御前会議で対米開戦を決定。→太平洋戦争

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「ハルノート」の解説

ハル・ノート

1941年(昭和16)11月26日,日米交渉最終段階にアメリカ国務長官ハルが示した対日回答。中国本土からの全面撤退,重慶政府以外の政府の否認,三国同盟の否認など,きびしい要求を含んでいた。日本の暫定協定案(乙案)への回答であったために日本側はこれを事実上の最後通牒とみた。米側にも「乙案」に近い暫定協定案があったが,アメリカの対日参戦を期待する蒋介石の強硬な反対論と,蒋の説得に応じて反対に転じたイギリスのチャーチル首相の働きかけによって,アメリカはハル・ノートを発した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「ハルノート」の解説

ハル‐ノート
Hull-note

太平洋戦争開戦直前の1941年11月26日,日米交渉の最終段階におけるアメリカ側の提案
アメリカ国務長官ハルが日本に覚書を提出。その内容は,中国・フランス領インドシナからの撤兵,満州国の否認,日独伊三国同盟の廃棄など,満州事変以前の状態に戻すことを要求。日本はアメリカの最後通牒とみなして,開戦を決意した。

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