ハンセン病患者訴訟(読み)はんせんびょうかんじゃそしょう

知恵蔵 「ハンセン病患者訴訟」の解説

ハンセン病患者訴訟

らい予防法違憲国家賠償請求訴訟略称ハンセン病患者を隔離することを認めた「らい予防法(1996年に廃止)」が憲法に反するとして、98年に提訴された国家賠償訴訟。2001年5月に熊本地方裁判所で原告勝訴の判決が下され、政府の患者隔離政策や国会議員の立法不作為が糺(ただ)された。このほか、東京・岡山を含め多数の訴訟が提起されている。また,これらの患者本人による訴訟の他に,ハンセン病の患者家族が受けてきた差別偏見などによる被害について,国に謝罪と損害弁償を求めた「ハンセン病家族訴訟」がある。この訴訟は19年の熊本地裁判決で原告勝訴が確定している。これらを合わせて「ハンセン病訴訟」と呼ぶこともある。
ハンセン病はらい菌によって引き起こされる感染症だが、感染力が著しく低く、殊に大人同士での伝染はほとんど見られない。また、潜伏期間が長く、適切な治療がなされずに病状が進行すると、皮膚や神経組織などを侵し相貌にも著しい病変を引き起こす。こうしたことから古い時代には、前世の悪業の報いによる業病であるなどとされた。近代になっても、ノルウェーの医師ハンセンが1873年にらい菌を発見するまでは、遺伝的な疾病であるとも信じられ、患者は様々な偏見や差別に苛(さいな)まれた。寺院や宗教者らによる罹患(りかん)者救済の施設は古代から存在していたが、近代になると強引な隔離が行われるようになり、日本では1931年の「癩(らい)予防法」により、終身隔離・患者撲滅政策が強行された。新憲法下にあって治療法が確立されつつあった53年になっても、患者らの反対を尻目に強制隔離政策を永続・固定化する「らい予防法」が制定され、96年まで継続した。このような経緯や、社会的偏見、生活基盤の欠缺(けんけつ)などにより、すでに完治した千人以上もが全国13カ所の国立ハンセン病療養所に、現在も暮らしている。
こうした中で、人間としての尊厳の回復を目的として、鹿児島・熊本の療養所入所者13人が98年に国家賠償請求訴訟を起こした。これをきっかけに、国の謝罪、賠償や対策、真相究明を求める動きが広がり、数次にわたる各地の訴訟を合わせ、原告団779人を数える大規模なものとなった。2001年5月の判決は、このうち1次の13人を含む4次までの127人分。地裁判決に対して国側は控訴を断念、01年6月には衆参両院でそれぞれ謝罪決議が採択された。また、同月にはハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律が施行され、生存者には入所時期により800万円から1400万円までの4段階で補償金が支払われる。
なお、国家による不法行為は行政府、立法府だけでなく司法府も例外ではなかった。政府・国会に遅れること15年、最高裁判所は16年4月にようやくにして謝罪を表明した。司法手続きでは、裁判すら受けられなかった戦前のみならず、戦後も患者は裁判所の法廷に立つことができなかった。最高裁が同時に発表した調査報告書によれば、100件近い裁判でハンセン病を理由に「特別法廷」が開かれていた。熊本の療養所内では、「無菌地帯」などと称する患者が立ち入りできない2階に裁判官が並び、被告は1階の「有菌地帯」で審理を受けたという。同調査に関する有識者委員会では裁判公開の原則に反し、法の下の平等を定める憲法に違(たが)うものではないかとの意見もあったという。最高裁は「運用上の誤り」を認め謝罪したが、違憲ではないとする。裁判の正当性などに関する一定の問題をはらんではいるが、患者会や識者らからはこの期に及んで潔くないなどの批判の声が上がった。

(金谷俊秀 ライター/2019年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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