ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハーコート」の意味・わかりやすい解説
ハーコート
Harcourt, Sir William George Granville Venables Vernon
[没]1904.10.1. オックスフォードシャー,ニューナムコートニー
イギリスの政治家。ケンブリッジ大学を出て法曹界に入り,母校の国際法講座を担当したが,1868年自由党下院議員として政界に入った。 19世紀後半,二大政党対立の時期に,W.グラッドストンの自由党内閣の法務次官,内相,蔵相を歴任し,アイルランド自治法案の上程や所得税法,相続税法の大改正などをめぐり,議会での論戦に活躍した。帝国主義政策が進み,J.チェンバレン派の脱落 (1886) により自由党が分裂したのちも,自由主義政策の立場を堅持,保守党政府の財政,外交 (特に南アフリカへの) 政策を批判した。アメリカの南北戦争 (61) 当時,それによって生じる国際法上の諸問題について,仮名で『ロンドン・タイムズ』に寄せた論稿はよく知られている。
ハーコート
Harcourt, Simon, 1st Viscount Harcourt
[没]1727.7.23. ロンドン
イギリスの法律家,政治家。 1690年以降下院議員。トーリー党員としてホイッグ党のやり方を鋭く批判。 1702年検事総長。 07年スコットランドとの合同委員として批准書を起草。同年法務長官。 H.サシェベレルの事件で彼を弁護。 13~14年大法官。 21年子爵。 22年枢密顧問官。ジョージ1世即位後一時失脚,引退していたが,この時期に J.スウィフト,A.ポープらの文人と親交をもった。
ハーコート
Harcourt, William Vernon
[没]1871.4. ニューナム
イギリス科学振興協会の創立者の一人。初代バーノン卿ジョージの末息ヨーク司教 E.ハーコートの子。5年間イギリス海軍に勤務ののちオックスフォードのクライスト・チャーチで聖職位を得,ヨークシャーのビショップ村の教会禄を受けた。ヨークシャー哲学会の創設に関与し,またイギリス科学振興協会の会報の規則や企画の原案も作成し,1839年にはその会長に選任された。 24年ヨークのキャノンに,37年ボールトン・パーシーの教区長に就任。晩年は余暇を科学実験に費やした。
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