ハーロー(英語表記)Jean Harlow

改訂新版 世界大百科事典 「ハーロー」の意味・わかりやすい解説

ハーロー
Jean Harlow
生没年:1911-37

アメリカの映画女優。〈プラチナ・ブロンド〉の代名詞で呼ばれ,戦後のマリリン・モンローに匹敵するハリウッドのセックス・シンボル。ミズーリ州カンザス・シティ生れ。16歳のとき21歳の青年と駆落ち結婚してロサンゼルス落着き,まもなく離婚。ハル・ローチ撮影所の短編喜劇に出演するかたわらエルンスト・ルビッチ監督の《ラヴ・パレード》(1929)やチャップリンの《街の灯》(1931)などにエキストラ出演しているところをハワード・ヒューズに認められて航空映画《地獄の天使》(1930)に娼婦の役で出演,〈ブラジャーなしで突出した豊かな乳房〉をもったこの輝くばかりのプラチナ・ブロンドの美女はたちまち人気スターとなった。ウィリアム・ウェルマン監督,ジェームズ・キャグニー主演のギャング映画《民衆の敵》(1931),フランク・キャプラ監督の喜劇《プラチナ・ブロンド》(1931)などの〈衝動的な露出狂〉の役柄にはまって〈セックス・シンボル〉となり,このころから〈プラチナ・ブロンド〉が彼女の代名詞となる。MGMプロデューサー,ポール・バーンと電撃結婚,まもなくバーンがなぞを残して自殺したことでスキャンダルになるが,《紅塵》(1932),《春の火遊び》(1933)などではクラーク・ゲーブルを相手に,《港に異常なし》(1935),《結婚クーデター》(1936)ではスペンサー・トレーシーを相手に〈グッドバッド・ガール〉も演じて人気は上がり,大スターの座を確固たるものとする。しかし,ゲーブルとの5本目の共演作《サラトガ》(1937)を最後に26歳の若さで急死した。1964年にはキャロル・ベーカー主演で,65年にはTVムービーとしてキャロル・リンレー主演で伝記映画がつくられた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハーロー」の意味・わかりやすい解説

ハーロー
Harlow, Jean

[生]1911.3.3. ミズーリ,カンザスシティー
[没]1937.6.7. カリフォルニア,ロサンゼルス
アメリカ合衆国の女優。本名 Harlean Carpenter。「セクシーブロンド女優」の元祖的存在。両親の離婚後,母親とともにロサンゼルスに移り住んだ。16歳で高校を退学して駆け落ち結婚するが,1928年夫の反対を押し切って女優の道に入り,離婚。元映画制作者で実業家のハワード・ヒューズの目に留まり,ヒューズが監督した『地獄の天使』Hell's Angels(1930)を無声映画からトーキーに撮り直す際,スウェーデン人女優グレタ・ニッセンに代わってヒロインに抜擢された。何本かの作品で華やかなだけの端役を演じたのち,6万ドルでメトロゴールドウィンメイヤー MGMに移籍。『紅塵』Red Dust(1932),『晩餐八時』Dinner at Eight(1933)など出演作を重ねるたびに,映画ファンや批評家,関係者の間で人気が高まり,いずれも興行的に大成功を収めた。1934年に映画制作倫理規定が強化されると,それまでのセクシー路線に代わり,知的で繊細なイメージを打ち出した。女優としての成功とは裏腹に,私生活は恵まれなかった。MGMの重役だった 2番目の夫は 1932年に自殺とみられる事故で死亡し,撮影監督だった 3番目の夫とは 1年足らずで離婚。俳優ウィリアム・パウエルと結婚間近だった 1937年,尿毒症のため 26歳で死去した。

ハーロー
Harlow

イギリスイングランド東部,エセックス県西部のニュータウン。ハーロー地区を構成する。ロンドンの北北東約 30kmにある。第2次世界大戦後ロンドンの過剰人口を吸収するため,1946年のニュータウン法により 1947年ニュータウンとして指定され,都市計画に基づいて建設された。印刷,冶金,医療器具,科学機器,工作機械,家具などの工業がある。面積 26km2。人口 8万8296(2001)。

ハーロー
Harlow, Harry Frederick

[生]1905.10.31. アイオワ,フェアフィールド
[没]1981.12.6.
アメリカの心理学者。ウィスコンシン大学教授。学習と動機づけの研究,特に霊長類の心理学的研究で指導的位置にある。主著"The Maternal Affectional System" (1963) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハーロー」の意味・わかりやすい解説

ハーロー
はーろー
Harry Frederick Harlow
(1905―1981)

アメリカの動物心理学者。スタンフォード大学で学位を得て、ウィスコンシン大学の心理学研究室へ赴任し、サルの研究を始めた1932年以来1974年に退職するまでに、霊長類研究所を創立して多くの弟子を育て、初期の霊長類行動研究の発展に貢献した。とくに、多様に変化する刺激対象を用いた弁別課題を次々と与えて、いかに学ぶべきかを学習させたといわれる学習セットの形成、またアカゲザルの母子の愛情の形成や、遊びと性行動など社会的適応の発達に必要な要因や臨界期を明らかにした隔離飼育実験は、よく知られている。いずれも新しい研究法として、多くの重要な問題を提起した。

[室伏靖子]

『ハーロウ著、浜田寿美男訳『愛のなりたち』(1978・ミネルヴァ書房)』

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