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バスティーユ Bastille

翻訳|Bastille

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バスティーユ
Bastille

フランス王シャルル5世の命令で,1370~82年パリのサンタントアーヌ門に建設された城塞。元来イングランドの攻撃からパリを防衛するための要塞であったが,リシュリューの時代になって国事犯牢獄として使用されるにいたり,国王の絶対主義権力の象徴となった。パリへの軍隊集結と J.ネッケルの罷免とが直接の契機になって,1789年7月 14日パリ民衆は蜂起しバスティーユを占領したが,それがフランス革命の出発点となった。 90年取りこわされ広場になった。

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百科事典マイペディアの解説

バスティーユ

14世紀にパリの東端に築かれた要塞(ようさい)。17世紀以来牢獄(ろうごく)として政治犯を収容。1789年7月14日,パリの民衆は,ベルサイユへの軍隊集結と,三部会改革を企てた財務総監ネッケル罷免の報に蜂起(ほうき),武器獲得のためバスティーユを襲って占拠。
→関連項目カリオストロ

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世界大百科事典 第2版の解説

バスティーユ【Bastille】

1369‐83年パリのサンタントアーヌ門のそばに建設された城砦。高さ24m,厚さ3mの城壁,八つの円筒形やぐらからなり,幅26m,深さ3mの壕で囲まれていた。1789年7月14日,パリ群衆の攻撃を受けた封建制の牙城としての牢獄で有名である。もっとも,この城砦が絶対主義国家の牢獄として活用され始めたのは17世紀に入ってからで,百年戦争の後半にはブルゴーニュ派やイギリス軍が,宗教戦争期には旧教同盟派が,17世紀中葉にはフロンド派が占拠するといったように抗争の一つの舞台ともなった。

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大辞林 第三版の解説

バスティーユ【Bastille】

〔バスチーユとも〕
百年戦争の際パリ防衛のために設けられたパリ東部のサンタントワーヌの城塞。一七世紀以来政治犯の牢獄として使用されたことから、専制政治の象徴とされ、1789年民衆により襲撃され、フランス革命が本格化した。

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