翻訳|Bahamas
西インド諸島北部、キューバ島北方のバハマ諸島(イギリス領のタークス・カイコス諸島を除く)より構成される国。イギリス連邦に所属する。面積1万3939平方キロメートル、人口30万3611(2000)。首都はナッソー。
[栗原尚子・国本伊代]
バハマ諸島は、フロリダ半島の南東からイスパニョーラ島まで800キロメートルにわたって連なる約700の島と2000以上のサンゴ礁からなる。有人島は30余りで、主要な島には、ニュー・プロビデンス島、アンドロス島、グレート・イナグア島、グランド・バハマ島、エリューセラ島、グレート・アバコ島、キャット島、マヤグアナ島、ロング島、サン・サルバドル島、タークス・カイコス諸島(イギリス領)などがあるが、中心はニュー・プロビデンス島とグランド・バハマ島で、両島に総人口の約85%が集中している。ニュー・プロビデンス島には首都ナッソーがあり、主要経済機能が集積している。地形は平坦(へいたん)で最高点はキャット島のオスランドの122メートルである。おもに石灰岩よりなり、全島が肥沃(ひよく)なバハマ黒色ローム層で覆われている。気候は海洋性亜熱帯気候で比較的しのぎやすく、ナッソーの年平均気温は23.4℃である。湿度は高いが、一年中東風が吹き、海洋の影響で緯度のわりには過ごしやすい。年降水量は1200ミリメートルで、夏から秋にかけてハリケーンに襲われ、この時期に雨量が多い。常夏の気候、白砂、サンゴ礁、紺碧(こんぺき)の海という自然環境はこの国の貴重な観光資源となっている。
[栗原尚子・国本伊代]
1492年、コロンブスの第一回航海によって最初に「発見」されたのがグアナハニ島(のちサン・サルバドル島と改称)で、それは悲惨な歴史の始まりであった。16世紀初め、先住民のルカヤンはスペイン人によってイスパニョーラ島などの鉱山労働に駆り出され、酷使や疾病や飢餓(きが)のため絶滅した。アメリカ大陸においてバハマ諸島は先住民が絶滅した最初の地域である。その後、スペインとイギリスの係争地となったが、17世紀にバーミューダ諸島から移住してきたイギリス人によって植民が開始され、1783年、ベルサイユ条約によって正式にイギリス領となった。植民地経済は、他のイギリス領西インド諸島の島々と同様に、アフリカからの黒人奴隷労働力によって成立した砂糖プランテーションで、1834年の奴隷解放令に基づき補償金請求対象となった奴隷数は約7700人と記録されている。
1953年、初めての政党として進歩自由党が創設され、64年に内政自治が認められ、73年7月独立国となった。イギリス連邦に属するが、経済的にはアメリカとのつながりが大きい。正式に独立する前の1967年から革新自由党(PLP)のピンドリンク党首が5期25年にわたって首相を務めたが、麻薬絡みのスキャンダルや汚職が相次ぎ、92年の総選挙で自由国民運動党(FNM)が圧勝し、イングラハム党首が首相の座に就いた。その後はFNM政権が比較的安定した政治の舵取りをしている。
[栗原尚子・国本伊代]
政体はイギリス女王を元首とする立憲君主制で、女王により総督が任命される。議院内閣制で、首相は下院の多数党党首が総督によって任命される。議会は上・下院の二院制で、下院議員(定員40名)は直接選挙で選出され、上院議員(定員16名)は総督が指名する。
[栗原尚子・国本伊代]
バハマ経済の柱は、観光業と金融業である。快適な亜熱帯性気候と白い砂浜に代表される恵まれた観光資源およびアメリカに近いという地理的条件から、早くから海外からの観光客を引き付けてきた。現在では観光業が国内総生産(GDP)の約50%を占め、労働人口の約40%を雇用する最大の産業となっている。一方金融業は、所得税、法人税、不動産税などを免除するタックス・ヘイブンとなっており、国際金融センターとして多国籍企業などの事務所や銀行が多数立地している。農業をはじめとするその他の産業は著しく弱体である。
農業は、国内向けに産出されるものがほとんどで、野菜類、熱帯性果物の一部がアメリカやカナダに輸出されている。工業は、グランド・バハマ島におけるあられ石の採掘、製塩、石油精製、セメント生産、ニュー・プロビデンス島におけるラム酒の醸造のほか、いくつかの軽工業がみられるにすぎない。工業団地の造成(ニュー・プロビデンス島)、自由港の指定(グランド・バハマ島)により、工業開発や外資導入が図られている。石油精製、食塩生産、セメント生産、ラム酒醸造、製薬など主要産業に外資系企業が進出している。貿易のほとんどは、グランド・バハマ島の自由港における石油基地での石油中継貿易で占められる。石油以外の主要輸出産品は、薬品、ラム酒、ロブスター、原塩、あられ石で、輸入の大半は消費財が占め、なかでも食糧品の割合が高い。日本は自動車、鉄鋼などを輸出し、石油製品、薬品を輸入している。ナッソー~マイアミ間は飛行機で約30分、定期的に航空路、航路が開かれ、また主要島間は航空路で結ばれており、西インド諸島の交通の要衝でもある。
[栗原尚子・国本伊代]
国民の85%は黒人で、ムラート(混血)と白人が残りの半分ずつを占める。おもな宗教はイギリス国教会。英語が公用語であるが、アメリカ英語の影響を受けている。初等・中等教育(5~14歳)は義務教育で無償である。高等教育は各種あるが、大学教育はアメリカに留学する者が多い。1人当り国民総所得(GNI)1万5010ドル(2000)はラテンアメリカでは最高の水準にあり、社会・経済指標はほぼ先進国並みとなっている。
[栗原尚子・国本伊代]
『エリック・ウィリアムズ著、川北稔訳『コロンブスからカストロまで――カリブ海域史,1492―1969』Ⅰ・Ⅱ(2000・岩波書店)』▽『加茂雄三著『地中海からカリブ海へ』(1996・平凡社)』
基本情報
正式名称=バハマ国Commonwealth of the Bahamas
面積=1万3943km2
人口(2010)=35万人
首都=ナッソーNassau(日本との時差=-14時間)
主要言語=英語
通貨=バハマ・ドルBahamian Dollar
バハマ諸島のうち,南東部のタークス・カイコス諸島を除く島々で構成される群島国家。
バハマ諸島のサン・サルバドル島は1492年,コロンブスが〈発見〉した最初の島といわれる。しかしスペイン人は原住民をイスパニオラ島の鉱山と農園の労働に狩り出すだけで,バハマ自体の植民に関心を示さなかった。17世紀後半にバミューダ島のイギリス人が植民を開始した。その後の2世紀は海賊と奴隷貿易の中心地となり,フランス人,スペイン人,アメリカ人等の進出が相次ぎ紛争が絶えなかったが,1783年ベルサイユ条約によりイギリス領となった。1964年,初めて自治政府がおかれ,漸次自治権が拡大していったが,72年の総選挙で圧勝した進歩自由党の政権下で独立への道が固められた。73年7月10日独立を達成,9月には国連に加盟したほか,米州機構,IMF,世界銀行,米州開発銀行等の国際機関に加わっている。イギリス連邦の一員。イギリス女王を元首とする立憲君主国で,女王名代の総督が形式上統治している。議会は二院制で,任命制の上院16名と選挙制の下院40名で構成される。議院内閣制をとり,首相は下院の多数党党首が総督によって任命され,内閣を組織する。主要政党は進歩自由党,自由国民運動党である。国内政情は安定しており,与党の進歩自由党は1968年以来,引き続き政権を担当していたが,1992年の選挙で自由国民運動党が政権を奪取し,麻薬関連の犯罪の一掃と国営企業の民営化などの課題に取り組んでいる。
対外関係では,近隣諸国をはじめ,経済関係の深いアメリカ,イギリスとの友好・協調路線を基軸としている。人種構成はアフリカ系黒人か80%,ヨーロッパ系白人が20%である。主要言語は英語で,住民の大部分が英国国教会を中心とするキリスト教徒である。
この国の経済は,快適な亜熱帯性気候,白砂の海岸とサンゴ礁の美しい風光に恵まれた観光産業に大きく依存し,政府歳入の半分以上,全雇用の3分2,外資収入の半分がこの部門に頼っており,これを基盤にバシマはカリブ海諸国中最高の生活水準を享受している。他方,所得,法人,不動産,相続等の諸税を免除する〈タックス・ヘイブン〉政策のため,多数の銀行,会社等が事業所を開設し,活発な国際金融センターとなっている。通貨はバハマ・ドルでアメリカ・ドルと等価で連動している。1995年の1人当り国民総生産は1万1940ドルで,ラテン・アメリカ,カリブ海諸国の中でも最高の水準を達成している。また,産業促進法が定められ,認可企業には輸入税や収益税を免除するなど,外資への優遇措置をとっており,グランド・バハマ島のフリーポートに設定された自由貿易地域は,外国資本による石油精製基地をはじめ,セメント,ラム酒,製薬,製塩,食品などの一大加工貿易センターとなっている。
執筆者:橋本 芳雄
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