イギリスの化学者、技術者。合成染料モーブの工業的製造、パーキン反応の発見で有名。近代有機化学工業の創生期の担い手の一人。ロンドンの生まれ。王立化学学校でホフマンに学び、のちにその助手をつとめた。自宅にも小実験室をもち、種々の化学実験を行った。18歳のときに、アニリンからキニーネの合成を試みている最中、偶然に美しい赤紫色の化合物を発見した(1856)。それは新発見ではなかったが、あまりにもきれいな物質であったので、染料としての利用を考えて特許をとった。それがいわゆるモーブである。さらに彼はモーブの工業的製造を思い立ち、学校を退職してグリーンフォードに工場を建設した。製造工程は粗製ベンゼンの精製・ニトロ化・還元・酸化・精製からなり、初めての工業化が出会うさまざまな困難がそこにあった。その仕事にパーキンは、彼の技術者としての力量を大いに発揮した。これがイギリスにおける合成染料工業の始めであった。ついで1869年にはアントラセンから染料アリザリンを合成し、特許を申請した。しかしドイツ人グレーベらに1日の後れをとり、ヨーロッパ大陸における特許権の掌握に失敗した。この事実は、ドイツの合成染料工業がようやくイギリスに肉迫したことを物語るものであった。
このあと1874年に彼は染料の製造をやめ、化学者に戻った。化学者の仕事としては、1875年に芳香族アルデヒドと脂肪酸ナトリウムに無水酢酸を作用させて芳香族不飽和酸を合成する方法(パーキン反応)を発見した。またこの方法によってサクラの葉の芳香成分であるクマリンを合成した。これは天然香料合成の先例である。さらに化合物の構造と磁場における旋光性との関係などの有機化学の重要な分野を開拓して、化学者として大成した。1906年にはモーブ発見50年祭が催され、ドイツ、フランスの化学会から賞牌(しょうはい)、イギリスからサーの称号が贈られた。2人の息子ウィリアムWilliam Henry Perkin Jr.(1860―1929)とアーサーArthur George Perkin(1861―1937)も有機化学者である。
[川又淳司]
イギリスの化学企業家,有機学者.15歳で王立化学カレッジに入学し,R. Hoffmann(ホフマン)につき,2年目の終わりには助手となった.1856年の復活祭休暇時に,かれは,自宅に設けた実験室でキニーネを合成しようとしてアニリン塩を二クロム酸カリウムで酸化して暗色の沈殿物を得,それが薄い青みがかった紫の染料となることを発見した.かれは学校をやめて,家族の協力を得て製法を特許化し工業化した.他社もほかの製法の特許をとって染料製造を開始したが,かれの製法に匹敵するほど安く生産はできなかった.イギリスのVictoria女王やNapoléon 3世の后Eugenieがかれの染料の衣装をまとい,この色を流行させ,商業は大成功した.そのため今日では,フランスでの呼び名モーブ(mauve)という名称でよく知られている(ティリアンパープル(Tyrian purple)ともよぶ).1869年には赤い染料アリザリンの安価な製法を工業化している.企業家時代に,パーキン反応として知られている不飽和酸の合成法も開発し,1874年以降自宅の私設実験室で純粋な化学研究に専念していたが,死の前年に催されたモーブ発見50年の諸行事で,ふたたび世間の注目を浴びた.かれの息子W.H. Perkin, Jr.も有名な有機化学者である.
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イギリスの化学者。ロンドンに生まれる。幼少より化学実験に興味をもち,15歳で王立化学大学のA.W.ホフマンに師事した。マラリアの特効薬キニーネの合成を師より示唆され,1856年アリルトルイジンを重クロム酸塩で酸化したとき,偶然絹を薄紫色に染める色素(モーブmauve)を発見した。この思いがけない発見が,合成染料の研究開発と化学工業の幕あけとなった。57年ロンドン近くのグリーンフォード・グリーンに工場を設け,石炭からとれるアニリンを使用して,モーブの工業的生産に成功した。68年芳香族不飽和酸を生成するパーキン反応を発見し,香料クマリンを合成,69年アリザリンの安い製造法の開発など,工業界で活躍した。74年引退後は再び化学研究にもどり,化合物の構造と磁場旋光の関係について報告した。1906年,ナイト爵位を受ける。同名の長男(1860-1929)も有機化学者で,オックスフォード大学教授をつとめた。
執筆者:徳元 琴代
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…飽和炭素鎖も環をつくる可能性はそれに遅れて指摘された。1883年ころパーキンWilliam Henry Perkin(1860‐1929。合成染料工業の創始者として有名なパーキンの同名の息子)は,シクロペンタン誘導体の合成に成功し,初めて脂環式化合物の化学を導入した。…
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[利用]
アニリンはベンゼンとともに有機化学および合成化学工業上,大きな役割を果たしている。とくに染料合成は,1856年イギリスのW.H.パーキンが不純なアニリンを重クロム酸塩と硫酸で酸化して紫色の色素モーブを得たことに始まる。ついでナタンソンJ.Natansonもアニリンからマゼンタ(フクシン)を合成し,当時の合成染料はアニリンを原料とするところからアニリン染料と呼ばれていた。…
…飽和炭素鎖も環をつくる可能性はそれに遅れて指摘された。1883年ころパーキンWilliam Henry Perkin(1860‐1929。合成染料工業の創始者として有名なパーキンの同名の息子)は,シクロペンタン誘導体の合成に成功し,初めて脂環式化合物の化学を導入した。…
…昔は木材の防腐剤などの用途しかなかったが,コールタールの成分に関する化学的研究が進むにつれ,その工業的な利用の道がしだいに開かれ,19世紀から20世紀前半にかけては,コールタールを中心とする石炭化学は有機合成化学工業の花形として不動の地位を占めていた。 コールタールの化学成分の研究を回顧すれば,1819年にA.ガーデンがナフタレンを発見,また45年にA.W.vonホフマンがベンゼンの分離に成功したのをはじめとして,56年にはW.H.パーキンがコールタールから初めてふじ色の染料モーブ(アニリン紫)の合成に成功した。これらに続いて19世紀後半からは合成染料,医薬品工業が発展し,コールタールはその基礎原料として不可欠の重要な資源となったのである。…
…さらに18世紀半ばになると天然のインジゴを化学的に発煙硫酸でスルホン化する技術が発見された。1856年W.H.パーキンがアニリンを酸化して得た最初の動物繊維用赤紫色染料モーブMauveを発明,次いで59年に赤色塩基性染料マゼンタが合成され,以後合成染料時代の幕開けを迎えた。それにより人類は天然染料として所有していた藍,茜などとまったく同一の染料を合成化学の手法で手に入れたばかりでなく,数多くの新染料を創出し現在に至っている。…
…これが空気酸化されて生成するインジゴをさらに発酵により還元させインジゴホワイト(白藍)とし,染色後,空気酸化して青い染色物を得るが,このような複雑な化学反応を含む技術を古代より人類がもっていたことは驚くべきことである。合成染料の誕生は1856年にイギリスの化学者W.H.パーキンがアニリンの酸化により赤紫色色素を発見し,モーブmauveと名づけて57年より工業化したことに始まる。
[染料の名称と分類]
染料は商品名(または慣用名)およびカラーインデックス名Colour Index Name(略号C.I.名)で呼ばれる。…
…また塩基性染料であるため,一般には分子内の1個のアミノ基はカチオン(陽電荷)となっているのが普通であるが,スルホン酸基をもつアニオン型の酸性染料もある。歴史的には1856年W.H.パーキンが最初に発見したモーブなる染料もこの近縁とみられるので非常に古い。色が鮮明で濃色の反面,染色堅牢度が低いのが特徴であったが,塩基性染料のあるものはアクリル繊維を美麗に染め,また耐光性も高いことが見いだされた。…
※「パーキン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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