ヒュッケル(読み)ひゅっける(その他表記)Erich Armand Arthur Joseph Hückel

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒュッケル」の意味・わかりやすい解説

ヒュッケル
ひゅっける
Erich Armand Arthur Joseph Hückel
(1896―1980)

ドイツ理論化学者。8月9日シャルロッテンブルクの内科医の家に生まれる。兄W・K・F・B・ヒュッケル(1895―1973)は有機化学者として有名。ゲッティンゲン大学ボルンに物理学を学んだのち、チューリヒ工科大学でデバイ助手となり、強電解質理論によって学位取得(1935)。これは有名な「デバイ‐ヒュッケルの強電解質理論」として知られ、今日のプラズマ物理学にも重要な貢献をなしている。ロンドン大学ドナンのもとでのH+、OH+イオン移動度の研究、ライプツィヒ大学ハイゼンベルクのもとでのベンゼン分子などの有機化合物化学結合の本質に関する量子力学的研究ののち、1930年シュトゥットガルト工業大学講師となり、共役分子系の分子軌道理論(ヒュッケル則)を提起(1931)、量子化学パイオニアの一人となった。1937~1962年マールブルク大学物理学教授を務め、有機化合物の構造や化学的性質を量子力学的に説明した。

[大友詔雄]

『E・A・A・J・ヒュッケル著、米沢貞次郎訳『ベンゼン問題への量子論的寄与』(『化学の原典 第2巻 化学結合論Ⅱ』所収・1975・東京大学出版会)』

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化学辞典 第2版 「ヒュッケル」の解説

ヒュッケル
ヒュッケル
Hückel, Erich Armand Arthur Joseph

ドイツの物理学者,物理化学者.ゲッチンゲン大学で数学と物理学を学び,1921年実験物理学の分野で学位を取得.同大学とチューリヒのスイス連邦工科大学の助手を経て,1928~1930年ロンドン大学,ライプチヒ大学に留学.1930年シュツットガルト工科大学講師の後,1937年マールブルク大学教授(~1962年)となる.1923年P.J.W. Debye(デバイ)と共同で,強電解質溶液に関するデバイ-ヒュッケルの理論を発表した.1930年以降,不飽和有機化合物や芳香族化合物量子化学研究に転じ,分子軌道法(ヒュッケル法)の発展に貢献した.とくにベンゼン問題で,R. Robinson(ロビンソン)が命名した芳香族セクステット説を根拠づけ,1931年芳香族性に関するヒュッケル則を提唱した.また,1932年フロンティア軌道理論の萌芽的アイデアを提唱した.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

百科事典マイペディア 「ヒュッケル」の意味・わかりやすい解説

ヒュッケル

ドイツの物理化学者。ゲッチンゲン大学に学び,チューリヒ工科大学,ロンドン大学などを経て,1937年マールブルク大学教授。1923年,P.J.W.デバイとともに強電解質溶液の理論(デバイ‐ヒュッケルの溶液理論)を発表。また,有機化合物の二重結合などを量子化学的な理論から研究,1931年に分子軌道の計算法(ヒュッケル法)を開発,芳香族化合物のπ電子が示す共役性を根拠づけた。

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