改訂新版 世界大百科事典 「ビオレルデュク」の意味・わかりやすい解説
ビオレ・ル・デュク
Eugène Emmanuel Viollet-le-Duc
生没年:1814-79
フランスの修復建築家,建築史家,建築理論家。パリ生れ。エコール・デ・ボザール(国立美術学校)を忌避して独学で建築を学び,文化財保護技監であったP.メリメに認められてベズレーのラ・マドレーヌ教会の修理に当たった。ついで老練の建築家ラッシュスJean-Baptiste Lassusとともに,1845年よりパリのノートル・ダム大聖堂の修復工事を担当してその地位を固めた。その後,文化財保護委員会委員,宗務省の建築技監として活躍し,シャルトル,ランス,アミアンなどの大聖堂やカルカソンヌ市の城壁,ピエールフォン城(ナポレオン3世の命による)などの修復に当たった。現在ではしばしば厳しい批判をうけているが,工芸にまで及ぶ広い知識に裏づけられた,当時としてはきわめて進歩的な修復方法により,彼は多数の中世建築の保存に成功し,文化財保護事業の技術的基礎を確立した。
緻密な観察と合理的思考と,メリメをしのぐといわれる筆力を駆使して,《フランス中世建築事典》(全10巻,1854-61),《フランス中世家具事典》(全6巻,1858),《建築講話》(第1巻,1863。第2巻,1872)など多くの著書を残した。過度に合理主義的な史観に貫かれている点を除けば,これらの事典は現在でも中世建築と家具に関する最良の基礎資料である。《建築講話》は,過去の建築の模倣に没頭して行き詰まった建築界に対して,新しい時代の建築はその時代の材料を用いてその時代の要求を合理的に解決するところに生まれる,と説いたもので,第1巻は,エコール・デ・ボザールにおける建築教育の改革を主張してきた彼が,63年に同校の美学・美術史担当の教授に任命されたときに作成した講義原稿を中心としてまとめられた。この本は欧米の建築家に大きな影響を与え,20世紀の新建築をつくり出す思想的裏づけの一つとなった。なお1980年パリで,彼の没後100年記念展覧会と国際研究集会が開催された。またパリのシャイヨー宮殿の〈フランス文化財美術館〉は,1880年,彼の功績を記念して開設された〈比較彫刻美術館〉の後身で,中世フランス聖堂の彫刻,タンパンなどを展示している。
執筆者:飯田 喜四郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報