ビゼルト(英語表記)Bizerte

デジタル大辞泉 「ビゼルト」の意味・読み・例文・類語

ビゼルト(Bizerte)

チュニジア北端の港湾都市。首都チュニスの北約65キロメートルに位置する。紀元前1000年頃にはフェニキア人により港と運河が築かれ、地中海における交易要地となった。フランス植民地時代に軍港となり、同国独立以降、造船業製鉄業などの工業化が進められた。郊外には海岸保養地が多い。

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改訂新版 世界大百科事典 「ビゼルト」の意味・わかりやすい解説

ビゼルト
Bizerte

チュニジア北端にある港湾都市。同名県の県都。人口11万4371(2004)。アラビア語ビンザルトBinzart。シチリア島との間の海峡に面し,古代よりローマ農産物積出港漁港として栄え,7世紀にイスラムの支配下に入った。1881年フランスに占領され,保護領時代ビゼルト湖と結ぶ水路の北岸に近代的な埠頭が完成し,海軍基地ともなったが,独立後の1963年返還された。水路の両側石油精製セメント造船などの工場がある。アフリカ大陸最北端地で海岸が美しく観光地ともなっている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビゼルト」の意味・わかりやすい解説

ビゼルト
びぜると
Bizerte

北アフリカ、チュニジア北端にある港湾都市。首都チュニスの北65キロメートルに位置する。人口9万8900(1994)。シチリア海峡に面し地中海中央部の航路を扼(やく)する位置にあることから、古代より農産物の積出し港、漁港であるとともに海賊、海軍の基地でもあった。フランス植民地時代にビゼルト湖の地中海への出口の水路北岸に近代的な埠頭(ふとう)が建設され、ヨーロッパ風市街地もつくられた。フランス海軍基地も置かれたが、1963年返還された。独立後、工業化が図られ、セメント、石油精製、造船などの工場があり、湖の奥のメンゼル・ブルギバには製鉄所がある。アフリカ大陸最北端の地で美しい海岸があり観光地でもある。

[藤井宏志]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビゼルト」の意味・わかりやすい解説

ビゼルト
Bizerte

チュニジア最北端,地中海のシチリア海峡にのぞむ港湾都市。ビゼルト県の県都。アフリカ大陸北端の都市。ビゼルト湖と海を結ぶ運河の河口に位置する。古代にはフェニキア,カルタゴ,ローマの植民都市で,中世には漁村であったが,16世紀にスペインからの亡命イスラム教徒を迎えて拡大された。 1881年にフランス保護領となったが,ビゼルト湖からの運河の建設により,急速に発展。海軍基地もおかれた。現在は重要な港湾都市であり,商業の中心地である。魚類,リン鉱石,穀物の輸出が主で,港を中心に精油,金属,食品などの工業が発達。人口8万 4368 (1989推計) 。

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百科事典マイペディア 「ビゼルト」の意味・わかりやすい解説

ビゼルト

チュニジア北部,地中海岸の港湾都市。アラビア語ではビンザルトとも。北アフリカの重要な港の一つで,近代的な要塞(ようさい),海軍工廠がある。古代から港として栄え,1881年フランスが占領して軍港とした。1956年チュニジア独立後もフランスの軍事基地となっていたが,1961年チュニジアはフランスの撤兵を求める軍事行動を起こし,1963年にフランスは撤兵。13万8600人(2014)。

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