ノルウェーの劇作家、小説家、詩人。牧師の子として、東部山地のクビクネに生まれ、幼時から抜群の天分を示して指導者の性格を表す。ストライキの指導者として中学校を追放され、首都クリスティアニア(現オスロ)に出て大学受験のために予備校に通うころには、早くも青年の間に重きをなし、イプセン、ビニエらと知り合い演劇改革運動に乗り出したり、新聞を創刊して国民精神の高揚に努める。イプセンとは終生を通じての友であり、また競争者であった。1852年王立フレデリック大学卒業。56年にスウェーデンの旧都ウプサラで開かれた学生会議に出席して感銘を受けて帰国、直後に中世北欧の英雄に取材した戯曲『戦いの合間』(1857)を、翌年は小説『日向(ひなた)丘の少女』を書いて、早くも新文学の旗手となる。後者はことに北国の初々しい青年男女の悩みとあこがれを雄大な自然を背景に描いて、続く『アルネ』(1858)、『幸運児』(1860)などとともに、清純無比の青春小説、山岳小説として世界中に愛読された。しかし作者がスカンジナビア連合運動や、青年民主党の創立を通じて国民指導者の地位に上るに及び、初期の牧歌的作風はより急進的、社会的なリアリズムとなった。金の魔力を扱った『手袋』(1883)などはこの中期の社会劇で、二部の大作『人力以上』(1883~95)をその頂点とする。小説では『港に町に旗はひるがえる』(1884)、『マリイ』(1906)などが中・後期の代表作。晩年、国際舞台に進出、ドレフュス事件やフィンランド、ポーランドなどの被圧迫民族のために奮闘、「人道の戦士」とたたえられ、1903年にはノーベル文学賞を受賞。彼の詩『しかりわれらはこの国を愛す』(われらが愛する山の国)は、ノルウェー国歌になっている。パリで客死すると、政府は軍艦を派遣して遺骸(いがい)を迎え、国葬をもって遇した。
[山室 静]
『小林英夫訳『アルネ』(岩波文庫)』▽『山室静訳『日向丘の少女』(角川文庫)』
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ノルウェー近代文学を主導した劇作家,小説家,詩人。まず田園小説《日向丘のシンネーベ》(1857),《アルネ》(1859)で世界的に知られた。劇場監督を務め,歴史劇三部作《シーグル・シュレンベ》(1862)のあと,ノルウェー最初の散文市民劇《新婚夫婦》(1865)で人形扱いに抗議する夫を描き評判となった。劇作家として世界に名を高めたのは,資本家の偽りの生活と改心を描く《破産》(1875)によってである。《新体制》(1879)で教会と官僚制を攻撃,《手袋》(1883)で男の性的不道徳を批難した。政治にも進歩的立場の発言をして影響力をもったが,調和を重んじる本性は過激思想とは無縁だった。代表作は奇跡信仰否定の主題をもつ《人の力を超えるもの》第1部(1883)で自らの宗教的危機をへて生まれた。第2部(1895)は資本家と労働者階級の対立を描くが第1部に及ばない。詩集は《詩と歌》(1870)のみだが,国歌をはじめ,国民に愛唱される歌が多い。1903年ノーベル文学賞受賞。
執筆者:毛利 三彌
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